※1-1から始まっています。
※火曜日・金曜日更新
今回、制作期間が限られていたから、制作の段階から新井さんに手伝ってもらうことになった。多分、私が頼む前に、先生がそこもこっそり依頼していたのだろう。手伝いをお願いする電話を掛けると、新井さんはスケジュールを確認するでもなく、「うん、いいよ」と言った。
結局私の作品は、ステンドグラスの技法とガラス彫刻の技法とをミックスしたようなものになった。私は美大の頃、ガラス彫刻も、吹きガラスも、バーナーでガラスを熱して細かな装飾をつけるバーナーワークも、エナメル絵付けも……とりあえずやってみられるものは一通りやってみていた。そして主にサンドブラストというガラス彫刻で作品を創った。卒業制作もそうだ。だからガラス彫刻の部分は私がひとりで創ることにした。
そして、彫刻したガラスやそうでない様々な白色のガラスを配置し、ステンドグラス風にする部分を新井さんに任せた。
「結局、先生はどういう反応をしたの? このデザインに」
二人きりで作業しているとき、新井さんが訊いた。
「あれは、どういう反応だったのでしょう……。“あぁ……そうね”とだけ言って黙って、それから“いいわ、それで行きましょう”って」
先生は、人の意見を頭ごなしに否定したりする人ではない。そう分かっていても、やはりこのデザインを見せるのには勇気がいった。先生は、一瞬驚いた顔はしたが、すぐに平静を取り戻し、静かに承認した。
それはやっぱり“諦観”のようでもあり、私が五年間、物足りないと感じてきたものだった。
でもそのとき、私は先生のなかに、何というか、もっと深いものを感じた。たとえ表面に見えているものが“諦め”みたいなものだったとしても、それは軽々しい諦めではなく、様々なものが絡み合って、積み重なって、発酵して、そして生まれたものなのだと、そんなふうに感じた。
「そう。……それから……先生は何か言わなかった?」
「え? 何かって? 制作方法について、とかですか?」
私が逆に質問を返すと、新井さんは「いや」と言って黙った。
今回の作品の一番の特長は“シンプルさ”だった。ぱっと見ただけなら、それが作品だと思わず、見過ごしてしまうくらいさりげなく存在する作品にしたいと思った。だから作品の中心部分には控えめな彫刻だけを施し、周辺部分をステンドグラスにした。
ステンドグラス部分は、同じ白でも微妙に色合いや質感の違うガラスが並ぶように、選定と配置にはこだわった。ただ、一つ一つのピースは大きく、使うガラスの数も少ないから、制作期間はかなり短くすみそうだった。
作品制作の面白いと感じる点は、自分の頭のなかだけにあったイメージが、少しずつ形をもったものになり、人と共有したり、実際に触れられるまでに“成長”したりするところだ。
今回も私が音楽室でひらめいたアイディアは、紙の上のデザイン画にすることで、先生や新井さんと共有できるようになった。さらにその共有されたイメージは、ガラスを倉庫から見つけたり、発注したりして手に入れ、設計図通りの形にカットし、パズルのように並び合わせ、金属のフレームを使って組み合わせていくことで、実際に形と重さを持った“作品”に仕上がっていこうとしていた。
あと一日作業すれば完成というくらいのとき、先生が工房にやってきた。
「とてもいいわね。デザイン画を見たときより、こうやって立体的に仕上がってくると、よりいいわ。白だけの世界だけれど、白だけと言わせないような、奥行きとか多様さとか深みを感じる」
「ありがとうございます」
私が実際に口にしたのはそれだけだけれど、心のなかにあったのはもっと深い感情だった。
この白一色のシンプルな作品は見方によっては、先生の作品に対する否定にもなりかねない。それなのに先生は何も言わず、先生の作品の隣に……先生の作品と同じ部屋の窓に、この作品を“弟子”の作品として飾ろうとしてくれている。
その懐の深さを感じずにいられなかった。
でも次の瞬間、先生は言った。
「あなたはもう、独立しなさい」
俯いて作品を見ていた私の頭の上から、その言葉は降ってきた。
「え?」
思いがけない、突然の言葉に私の頭は一瞬フリーズする。
「え? どういうことですか?」
やっぱり先生は私のやり方を気に入らなかったということなのか。クーラーをつけていても暑く感じられるほどの部屋にいながら、両腕に鳥肌が立った。
急に、脈絡もなく、有馬先生の怒鳴り声が頭の中に響く。“こんなできそこないの表現者などいらないんだよ”……ぞくっとする。
恐怖を感じながら、私はゆっくり顔を上げ、先生の顔を見る。
先生は決して有馬先生のような冷たい目はしていなかった。
「もう、私があなたに教えられることはないから。……ごめんなさい、本当はずっと前から、分かっていたのに」
「なんで謝るんですか?」
過去に私が独立したいと先生に何度も言い、先生が“まだまだよ”と言っていたのなら、分かる。でも私は一度としてそんなことを言ったことはない。むしろ、ここから追い出されたら自分に行く場所などないと、いつも思っていた。
先生は私の問いに答えなかった。
「急に……ごめんなさいね。今、言うことじゃなかったわね。まずは展示よね」
急に話を打ち切り、「搬入は次の月曜日にしましょう。そう事務局に連絡してくれる?」と事務的な事柄だけ伝えると、部屋を出て行った。
「どういうことでしょうか……?」
先生の後姿を見送ったあと、私は新井さんに訊いた。新井さんにだって答えようがないだろうと分かっていて、訊いた。でも新井さんは「うん……そうだね」と言って、深く息を吐きだしたあと、続けた。
「この作品を無事展示し終えたら……遼を呼ぼう」
「遼を……?」
この作品を遼に見てもらいたいと思いはした。でも、この文脈で遼の名前が出てくる意味が分からなかった。
すると新井さんは鞄から自分のスマホを取り出し、一枚の写真を表示させると、私に画面を見せた。
透明なガラスと黒いフレームだけで、まるで水墨画のように景色を描き出しているステンドグラス作品のデザイン画が写されていた。
「これが東」
新井さんがそう言いながら、指を画面上でスライドさせ、次の写真を表示させる。
次に現れたのは、さっき以上にシンプルなステンドグラス作品のデザイン画だった。さっきよりフレームも減り、ガラスのパーツが大きくなっているものの、繊細さは失わない、モノクロの作品だった。雪に覆われ、形や色をなくした静かな里の風景が見えてくるようだ。
「これが西」
あぁ、そうなのか、と思う。これはきっと三年前に描かれたものだ。描いたのは……きっと、遼。
「私は三年遅れだったということですね」
私の言葉を新井さんは否定しなかったが、「僕なんて、きっと一生かかっても、そこにはたどり着けないよ」と言った。
「先生と遼が喧嘩したのは、これが原因で?」
「直接の原因ではないだろうね。遼が出て行ったのは、三年前のトリエンナーレから一年近く経ってからだ。でも、遼のなかで“何か違う”という想いが、それから大きくなっていって、止められなくなってしまったんだろうね」
「先生はこの作品を何て?」
「表面的には褒めていたよ。でも、色々な理由をつけて、作品化は見送った。元々事務局からの依頼が南の窓の作品制作で、東や西の窓に作品を創っても、お金が増えるわけじゃなかったし……。でも、それは表向きの理由だろうね。あの頃の先生は、作品がよくなるなら、お金なんて気にしなかったから」
本当は先生は三年前から、東と西の窓にも作品を創りたかったのかもしれない。でも……遼の頭の中にある以上の作品は創れない……きっとそこでもう、先生は悟ってしまったのだろう。
“これじゃ、負けている”……勝ち負けなんて口にしたことがない先生が、私の最初のデザイン画を見て口にした言葉。
先生は三年前から、ずっと、今はもう見えるところにはいない遼という人間を意識し続けて来たということか。自分と親と子くらい年の離れた若者のことを……。
ゼロから作品を創ることは、しんどいときもたくさんあるけれど、楽しくもある。……でも、人や他の人の作品を意識して、そこに並ぼう、それを超えようと思い始めた途端、それはつらさでしかなくなるだろう。
「遼は……二年前、先生から独立すると宣言して出て行った。先生もそれだけなら怒ったりはしなかった。先生が怒ったのは……遼が小田さんを連れていくと言ったからだ」
「私を?」
「遼は言った。“ここにいても、僕はこれ以上成長しないと思うから、独立したい”と。そして、“小田さんのことも、もうしばらないであげてください。小田さんも、もっと創造的なクリエーターです”と言ったんだ」
「知らなかった……」
「そう。小田さんが知らない時点で、遼の突っ走りすぎだ。だから僕は、先生が小田さんを連れて行かないようにと言ったのは、正しいと思ったよ。でも……」
「でも?」
「でも、遼は自分といたほうが、小田さんは生き生きと自分らしい表現を広げていけると信じていた。そして先生は、遼の方が正しかったのかもしれないと、きっとこの二年、思ってきた」
「もっと早く教えてくれればよかったのに……」
私の言葉に、新井さんは首を横に振った。
「もっと前に話しても、小田さんは迷ったり、悩んだりするだけだったと思う」
「確かにそうですね。……でもそれは、今も変わりませんよ」
「そうかな。今は、ちょっと違うんじゃないかな」
そのまま会話は止まった。もう彫刻部分は仕上がっていたから、残りの組み立て作業を新井さんと一緒に一つ一つ丁寧に仕上げていった。
そしてようやく作品は完成した。
デザインから担当して仕上げた大きなステンドグラス作品はこれが初めてだった。南の窓の作品に比べたら三分の一ほどではあるけれど、それでも十分大きな作品。しかもデザインの段階から何度も躓き、ようやく仕上げたもので、仕上がりに感慨を感じる。
今、遼に会ったら、私は何を言うのだろう。仕上がった作品を見つめながら、私は思った。