小説

その影を 2-2

※毎週火・金更新

※この作品は「プロローグ」から始まっています。

 

 ただ、事務所の存続について一つの合意に達しても、個別案件については、まだまだ話し合って決めなくてはいけないことも多かった。私たちは事務所の隅にある打ち合わせスペースに集まり、何度も様々なことについて議論した。

 一番の懸念事項は、公園のホールの件だった。

 他の大きな仕事はすでに設計図を上げ、工事に移っていたから、残っているのは私たちスタッフが事務的にこなせるような仕事がほとんどだった。

「とりあえず設計の締め切りを確認しておくか」

 桜井が言う。

「でも、そもそも善場先生への依頼なんだったら、断らないといけない仕事なんじゃない?」

「確かに、プロポーザル方式だったということは、他に候補の設計事務所があるということだからな。早めにそこに依頼してもらった方がいいかもしれない」

 そこで西川さんが意見を言う。

「あ、でも、それってあくまで“設計事務所”への依頼であって、善場先生への依頼ではないんだよね? だったら、“善場喜一郎設計事務所”がある限り、条件は満たしているんじゃない?」

 黒川先生がしっかりしてくれていたら、と何度も思ったけれど、でも、普段の黒川先生は、私たちに何も相談せず、こういう重い決断を一人で抱えこみ、一人で下していたんだな、と思う。

「じゃあ、条件は満たしているとして、実際に設計できるんですかね?」

「私は無理」

 唯一の一級建築士は早々にさじを投げる。

「黒川先生は?」

「技術的にはできるだろうけれど……無理だろうね」

「それは、今の精神状態だから?」

「それもあるけど……黒川先生はそもそも普段から、そういう大きな仕事はやりたがらなかったでしょう」

「それは善場先生に遠慮していたからじゃないの?」

「いや、あれは遠慮、っていうんじゃないと思うけどね」

「でも、個人邸は設計するのに、大きな仕事になるとできないって、よく分からないですけど」

「……本当に、分からない? 私は分かるよ」

 西川さんが言う。

「個人邸の仕事は職人の能力が必要とされる。……今回のホールの仕事などは、職人の能力ももちろん必要だけど、それとは違う軸にある、感性とかひらめきとか、そういうものがもっと必要になるんだよ」

「それは、思い込みじゃないんですか?」

 思わず言ってしまい、自分で自分の言葉に驚く。

「まぁ、そうかもしれないよ。職人的な能力だけで建てられた大きな建造物も世の中にたくさんあるだろうね。……でもそれで、わざわざ指名制プロポーザルで名前を挙げて、さらに選んでくれた人の期待に応えらえるのか、と考えるとね」

「あぁ……」

「なんか話が、現実的な可能性の話から、美学の話になってますよ」

 少し離れた場所で聞いていた佐山さんが冷静に言う。

「とりあえず現実的に考えて……善場先生が八割方設計を完成させていたらいいわけでしょう?」

 佐山さんの言葉に、私たちは「確かに」となる。色々なことが起きすぎて、そして考えることが多すぎて、みんな頭がよく回らなくなっていたのかもしれない。

「じゃあ、まずは二階の部屋に行って、デザイン案を探すところからですね」

 今できることをとりあえず一つ見つけ、ほっとして席を立つと、座っていたところより少しだけ空気が澄んでいる気がした。エアプラントが酸素を供給してくれてはいるが、たまには事務所を換気したほうがいいのかもしれない。

 

 

 善場先生の部屋は今日も綺麗に片付いていた。本や資料は本棚の所定の位置にしっかり戻され、やりかけの仕事もどこか決まった引き出しにしまわれているのだろう、机の上もすっきりしたものだった。

「几帳面なのはいいですけど、こういうときは、何かしら痕跡みたいなものを残しておいて欲しかったですよね」

 小池くんが片付いた机の前に立ち、言った。桜井も西川さんも急ぎで対応しなくてはいけない仕事があり、とりあえず私と小池くんで“探し物”をすることになった。

「確かにね。……善場先生はパソコンもほとんど使わないしね。パソコンを使うなら、履歴とか色々探れるけど」

 ミステリー小説などだと、きっと本棚のなかに一冊前に飛び出した本があるとか、不自然に鍵が掛った引き出しがあるとか……極端なものになれば、隠し扉が本棚の奥から現れるとか……何かしらヒントがあるのだろうけれど、善場先生の仕事場は、どこにも奇妙なところはない。ただ、完全に整っているだけだ。

 私は上の方から一つずつ机の引き出しを開けていき、小池くんは本棚にしまわれたファイルを新しい方から開いていった。

 机の引き出しには、筆記用具や契約書類をまとめたファイル、建築予定地や完成後の建物の写真をまとめたファイルなどがあったが、どれもホールの設計に関わるものではなさそうだった。小池くんの方も、あまりめぼしい成果を上げられていないようだ。

 やっぱり黒川先生に訊くしかないのだろうかと思ったとき、図面台の下に高さはほとんどない細長い引き出しがあるのに気づく。

「怪しい引き出し発見!」

 わざとドラマチックに言ってみると、小池くんも「おぉ、いいですね」と乗ってくる。これで開けてみたら空っぽだった、というオチも予想できたが、勢いよく開けてみると、なかには図面ファイルがあった。

「ビンゴ!……かもしれない」

 小池くんも引き出しのなかを覗き込む。黒いA3サイズの図面ファイルがあり、開けてみると中にぎっしりデザイン画が収納されていた。

 一番上のデザイン画は、三階建ての大きな建物で、個人邸でないのは確かだが、これが公園のホールのデザインなのかは定かではない。そもそもこのデザイン画が新しいものなのか、それともずっと昔からしまわれていたものなのかも分からない。ただ確かなのは、この繊細な線の描き方や、ところどころに書かれた文字が善場先生のものだということだ。

「とりあえず、このファイルごと一階に持っていって、あとでみんなで一つ一つ見てみよう」

「いいですね。やりましたね」

 もしこのなかにホールのデザイン画があれば、黒川先生なら、それを元に設計図を起こせるだろう。西川さんを中心に、私と桜井が手伝っても、ある程度のものは作れるかもしれない。……ともかく、大きな前進になる。

「良い流れ!」

 私は小池くんとハイタッチする。普段はそんなテンションの二人ではないけれど、今はそうやってちょっとした前進を大袈裟に喜んでいくことが大切な気がした。

 

 一階に戻ってから、打ち合わせスペースの机にファイルの中身を広げてみる。桜井はお客さんのところからまだ帰っていず、西川さんは真剣な表情でパソコン上の設計図と睨みあっているから、声を掛けづらかった。

 デザイン画は全部で五十一枚で、A3のものとA4のものがあった。建物の外観を大きく描いたものもあれば、一枚に屋根や扉、階段などのパーツを複数描いているもの、おおまかなイメージをA4サイズの紙に余白たっぷりに小さく描いたスケッチのようなものもあった。ただどの絵にしても、それだけで作品になっているような美しさがあった。

 善場先生を指名して個人邸を建てた人のなかには、善場先生の描いたパース図や設計図を記念に欲しがる人もいたが、私もその気持ちは分かった。

 私は大きな机に一枚ずつ上からデザイン画を出して並べていったが、まったく見覚えのない建物の絵もあれば、明らかに善場喜一郎設計事務所の過去の作品だと分かる建物のデザイン画もあった。

 十枚ほど並べたところで、少し前に善場先生が描いていた図書館のデザイン画も見つけた。

「これ、雑誌の取材準備で善場先生の部屋に入ったとき、先生が描いていた絵だ」

 私はテーブルに絵を置きながら小池くんに言った。

「はい、確かに、あの時の取材でも善場先生、話していましたよ、この図書館のこと。光が入って明るい空間を作りつつ、大切な本は太陽光で劣化するのを防ぐ工夫とか……。善場先生は取材でも口数は少ないですけど、でも、奥の方から溢れてくる想いがあるんだな、と、取材に立ち会って初めて知った気がしました」

「そうだよね。……もっと、善場先生と話したかったな」

「はい……」

 懐かしい善場先生の絵や文字を見ていたら、しんみりした気分になってしまった。私はわざと大きく息を吐いて、気を取り直す。

「他には、この専門学校とか、市役所とか、小学校とか……このあたりは既に善場先生が設計し終わった建物だよね」

「そうですね。僕が入る前のものですけど、サイトにも設計例として完成した建物の写真が載っていましたよね」

「あぁ……そうだね」

 私も就職活動中はサイトをよく見た。最近は、わざわざ見る用もなくなっていたが。

「だから、これも、これも……そうですよね」

 あくまでデザイン画なので、最終決定された設計とは細かい部分は異なる。

 デザイン画は「こんな特徴を持った、こんな雰囲気の建物が建てたい」という理想が詰まったものだ。実際に建物にするためには、予算もあるし、クライアントの「やはりバリアフリーでないと」とか「いまどき授乳室は欠かせません」など細かい要望が入るし、後でしっかり計算すると、「ここに柱がないと」「この重さの屋根は無理だ」など、そもそも構造上の問題で無理と分かったりする。それで、デザイン画を設計図にする時点でまず一段階現実的になり、クライアントとの話し合いのなかで、さらに現実的な形になっていく。

 だから専門学校や市役所のデザイン画も私がパソコン上でいじっていた設計図や、作った模型とは細かい部分が大分違っていた。

 それでも、善場先生がこだわったのであろう窓の位置と大きさとか、屋根の近くの装飾とか、特徴的な階段の形とか、そういうものはしっかり最終的な設計図にも残っていた。逆に言うと、最終的に残った部分が、善場先生と黒川先生の想いが詰め込まれた部分だったのだと分かり、デザイン画を見ながら、なんだか感慨深かった。

 私たちはそうやって、自分が関わったものも、そうでないものも、善場喜一郎設計事務所の実績として知っているものをテーブルの脇に重ねていった。どの建物も、どの絵も素敵だけれど、今探しているのは、あくまで新しいホールのデザイン画だ。

 そうやってテーブルの上に広げられたままになっているデザイン画は二十二枚に減った。

「あとは……何なんでしょうね」

 小池くんが残りのデザイン画をにらめっこするかのように見つめながら、言う。

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