人生、生きていると色々ある。
一見、「悪いこと」としか思えないような、事故とか病気とか、想像しなかったような災難とか。
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起こるべきこと
私自身はそこまで大きな不幸に見舞われていないから、そう言えるのかもしれない。
でも、最近本当に思う。
起きたことは、起こるべきことだったのだ、と。
数年前、とてもハマり、何度も読み返していた本がある。
スー・モーターという博士の書いた『エネルギー・コード』という本。
その本のなかの好きな言葉。
「それが起こるべきだったことはどうして分かるのですか?」
その答えは
「それは起こったからです!」
そのあとでDr.スーはこうも書く。
私の人生で起きるすべてのことは常に私のためになり、
自分自身の偉大さを発見するために自分自身の意識のより高いレベルで創造したことなのです。
すべての出来事は結局はあなたのためになるだけの理由で起きると考えられたら、
あなたは自分の人生に協力でき、フロー状態で生きられます。
目覚まし時計
スピリチュアル的「目覚め」の話をするとき、
「目覚めるべき時期になっても目覚めないと、目覚まし時計が鳴るように
一見悪いことに見える出来事が起こり、その人の目覚めを促進させる」
などと言われることがある。
Dr.スーが言っていることも、これに近い。
目覚まし時計の話は大抵、
「早いうちに気づかないと、どんどんそのアラームは強烈になり、
起こる出来事はより深刻度が高い“悪いもの”になる」と続く。
確かにそうだなと思う。
よく「強制終了が掛かる」とも言うけれど、
自分が本来やるべきではない仕事などに無理にしがみ続けると、
病気になったりして、辞めざるを得なくなったりする。
強烈な出来事は、やっぱり悪い出来事なの?
このときの病気は、後々まで治療が長引くような深刻な病気であればあるほど、
やはり三次元的には「悪いこと」に思える。
でも、じゃあ、病気になる前に仕事を辞めていれば、その方が良かったのかというと、
それは一概には言えないように思う。
病気になる前に仕事を辞めていたら、
前より少し自分に合う仕事に巡り合えたけれど、ぴたっと合っているかというと、そうとは言えない、
という移行の形になり、
重い病気になった場合の方が、
すぱっと「やりたくないことを辞める」という大きな決断ができるかもしれない。
ただじゃあ、重い病気になったほうが良かったのかというと、
それもまた一概には言えず、
病気になる前に辞めた場合は、
色々な仕事を転々とするなかでちょっとずつ気づきがあり、
経験が溜まっていくというのが重要だったということなのかもしれない。
なんだか塞翁が馬みたいな話だけれど、
そうやって何が本当に良い出来事なのか分からないのなら、
「起こったことが、起こるべきだったこと」と常に捉える生き方をすればいいんじゃないだろうか。
最近、そんなことを思う。
『エネルギー・コード』
『エネルギー・コード』にはチャクラを活性化させることで、真の自分の魂を目覚めさせるワークなどがたくさん紹介されている。
ヨガの「スシュムナー浄化の呼吸(天地瞑想)」とも似ている中央脈管呼吸が好き。

スー・モーター
『エネルギー・コード』
ちなみにスシュムナーの呼吸は、以前も紹介したヨガ講師・ぬんさんが動画をアップしているので、それもお薦め。
ぬんさんの瞑想とヨガ(アーサナ―)動画が好きすぎて、最近はYouTubeのメンバーシップに入っている💕