小説

その影を 2-3

※毎週火・金更新

※この作品は「プロローグ」から始まっています。

 

 ちょうどそのとき、佐山さんが打ち合わせスペースの近くを通りかかる。

「わ、懐かしいなぁ、これ」

 佐山さんはちょっとレトロ感のある教会のデザイン画を見て言う。

「お、これも、あれだ、あれ」

 そう、ひとしきり、一人で興奮する。佐山さんは私より五年は長くここにいるから、私の知らない善場喜一郎設計事務所の歴史を知っていてもおかしくない。

「これも過去の作品ですか?」

「あぁ……没になったデザインだね。ほら、前にみんなで行った教会。あのデザインに決まる前に決まりかけたのが、これ」

「なるほど」

 確かに、自分が入所する前の“没になったデザイン”までは分からない。ということで、佐山さんにも協力してもらい、“既存のデザイン”をテーブルの隅の山に加えていった。

 結果、残ったデザイン画は十枚になった。さらに「これはどう見ても学校であって、ホールじゃないよね」など、公園のホールのデザインに見えないものを外すと、残りは六枚になる。

「でも、これが今回新しく描いたホールのデザインなのか、過去にホールや劇場を設計したときに描いていた案の一つなのかは分からないよね」

 佐山さんが冷静に言う。

「やっぱり、もう一度黒川先生のところに行って、話してきた方が早いんじゃない」

 ここまでやってきて、佐山さんが言う。確かに、それはもちろん、そうだ。でも……。今はそうしたくなかった。

 多分、私は恐れていた。そして、確信していた。今、黒川先生に無理やりこれからのことを決めてもらおうとしたら、黒川先生はこの事務所を畳むこと、公園のホールの仕事を断ることを、躊躇なく決めるだろう、と。

 そして私は、それをできるだけ阻止したいのだった。

 善場先生がいなくても、今目の前にある仕事くらい私たちで立派にこなせるのだと証明して……そして……黒川先生に帰ってきて欲しかった。

「このホールの仕事だけは……善場先生の最後の仕事として……もしかしたら、善場喜一郎設計事務所の最後の仕事として……最後までやりきりたいです」

 感情がこもりすぎて、声が震えた。それで佐山さんは私を泣かせてしまったと焦ったのかもしれない。

「いや、分かるよ。分かる。諦めようなんて言っていないから。……最後までやろうよ。黒川先生がやめると決めない限り、やろうよ。僕も最大限協力するから」

「そうです。やりましょう。僕はまだ半人前ですけど……色々なところに走り回って、お願いしたり、謝ったりするのは得意ですから」

 小池くんがちょっとズレたことを熱弁するのが可愛らしく、私はちょっと笑った。

 

 ちょうどそこに桜井が戻ってきた。

 それで善場先生の部屋の探索の成果と、五十一枚のデザイン画について分かったことを話し始めると、西川さんも仕事を切り上げて来てくれた。入れ替わるように、佐山さんは電話を受けるために、席に戻る。

「過去の仕事だと判明していないのが十枚。そのうち、あの公園のホールのデザインかもしれないものが六枚、か」

 西川さんはそう言って、しばらく十枚のデザイン画を眺めたり、目をつむったりした。

「これ、どういう順番に入っていた?」

 西川さんはさらりと聞いたが、私はそこで固まる。

「あ……」

「もしかして、順番、分からなくしちゃった?」

「はい……ごめんなさい。これじゃ、探偵にはなれませんね」

「はは、藤田は、絶対探偵には向かないタイプ」

 西川さんは笑って流してくれたが、確かにこの場合、順番はとても大事だったと思う。

「裏には何も書かれていないね」

 西川さんがそれぞれのデザイン画をひっくり返して確認する。さすがにそれは私も早い段階で確認した。そんなやりとりのあいだ、珍しく桜井はずっと黙っていたが、急に、

「俺……こんな感じの建物、どこかで見たな」

 と一枚のデザイン画を指差して言った。それは“公園のホールのデザインかもしれない”と残した六枚の内の一枚だった。西川さんも隣からそれを覗きこむ。

 それは、公園のホールにしては、ちょっと尖ったデザインだった。壁面はコンクリート打ちっぱなしの無機質な見た目だ。コンクリート部分には突起も何もなく、しかも上に行くほど前面に傾いているデザインだ。ボルタリングでこんな壁があったら、超上級者向けだろうと思われるほどの傾斜。もしこれが戦国時代の城の壁だったら、敵に決して登られなかっただろうと思われる。

 ただ、もちろんこれは戦国時代の城壁ではないので、一部はコンクリートが切れ、ガラス窓やガラス扉になっている。そして、コンクリート打ちの壁も上部には細長い木材を多用した庇のようなものがついている。

「あ、これ、あそこの劇場だ。えっと、どこだっけ、東北の方の……」

 西川さんが言い、桜井が頷く。

「そうですよね。確か、城跡に建てられたもので、城壁をモチーフにしたとかで、いっとき話題になりましたよね」

「話題になった……かは分からないけど、確かに私も、建築雑誌で見た」

 私は不勉強で知らないことだったが、とにかく、その劇場が善場先生の設計でないことは確かだ。

「つまり……どういうことでしょう……他の人が設計した建物のデザイン画がここにあるというのは?」

「盗作されたとか、設計者に善場先生がデザインを提供していたとか……」

 西川さんはそう言ったあと、「そんなことは考えづらいよね」と打ち消す。

「うん、現実的に考えると……参考になりそうなデザインを既存の建物からピックアップしていた、ということじゃないかな」

 確かに、そう考えるのが妥当な線だろう。でも、同時に思う。

「善場先生レベルでも、アイディアがぱっと閃いて、その閃きだけで作品ができるわけじゃないんですね」

「ま、それはそうじゃない? 元々善場先生は研究者だし」

 西川さんはあっさり言う。

 確かにそうだ。善場先生の部屋には、国内の建築例が数多く載っている建築雑誌だけでなく、海外の文献や最新情報の載った冊子など、“建築事例”はたくさんある。文献のなかには、建物だけでなく、橋や庭園などのデザインや設計が紹介されているものもある。善場先生は様々なところからヒントを得て、それを組み合わせて、“オリジナル”で“独創的”に見えるデザインを産み出していたのかもしれない。

「この劇場が完成したのは二年くらい前だから……今回のホールの設計の参考にするためにここにファイリングされているという可能性は高いね」

「じゃあ、結局、善場先生の過去の作品でない十枚は、ホールのように見えるものも、見えないものも、全部今回の仕事の参考資料だったということですかね」

「ま、今の段階で、絶対にそうとは言えないけど、その可能性も捨てきれないという感じかな」

 桜井も小池くんも、納得したような、していないような複雑な顔をしている。

 私は五十一枚全部のデザイン画を見つめながら、さっきの西川さんの言葉を反芻する。

 西川さんは今朝、一階でやっている仕事は職人的なスキルで回すもので、善場先生の仕事はひらめきや感性でされていて、別物だ、というようなことを言っていた。だから、西川さんは善場先生の代わりにホールの設計をすることはできないのだ、多分、黒川先生も、と。
 
 でも今、善場先生は感性やひらめきだけでなく、過去の事例を集めて、それを組み合わせているのではないかというようなことを言った。この二つは矛盾したことではないのだろうか。

 そんな答えの出ない問いを頭の中で回していたら、小池くんがスマホでデザイン画の写真を撮り始めた。“ちょっと待って。社外秘かもしれない”そう止めようとしたとき、小池くんが言った。

「これは、北海道のプラネタリウム兼天文台のデザインかもしれません」

 小池くんはネットで画像検索をして、似た形のものを見つけ出したらしい。

「え? 何それ? 全部そうやって調べれば簡単だったんじゃない?」

 思わず言うと、今の画像検索のレベルだと、デザイン画からは似たようなタッチや色で描かれたデザイン画しか出てこないことが多いから、無理だと思っていたんです、と小池くんが答える。

 結局全部のデザイン画の写真を撮って検索したが、検索エンジンが分かったのはそのプラネタリウムだけだった。

「そう上手くはいきませんね」

「でも、こういう技術はどんどん進化しているからね……そのうち、探偵の仕事とかなくなっちゃうんじゃない」

 ハードな日々が続いて疲れが出てきたのか、桜井はちょっと投げやりな口調で言い、足を前に投げ出すと、伸びをするように背もたれに強く寄り掛かった。

「建築士の仕事がなくなるわけじゃなければ、探偵の仕事がなくなっても構わないけどね」

 西川さんが桜井の言葉にツッコミを入れ、そのあと大きなあくびをする。

「みんな疲れてるよね。私もだけど。ちょっと休憩しようか」

「いいですね」

 みんな賛同する。私たちはそれぞれコーヒーを淹れたり、机の引き出しにへそくりのように隠していたお菓子を出してきたりして、束の間の休息を味わった。

 そして一息つくと、残り六枚のデザイン画の“正体”を探ることが今一番大事なことではないのではないかと、ふと我に返った心地がした。

「攻め方を変えよう」

 佐山さんが差し入れてくれたチョコレートを食べながら、私たちはそんな合意に至った。

「善場先生の部屋に宝がないなら、次に怪しいのは、あそこじゃ」

 疲れがピークに達し、みんな壊れかけている。西川さんはもはや何のキャラなのかも分からない謎の口調で、右斜め前方へ指先を向けた。その指が差しているのは、黒川先生の机だった。

「黒川先生のパソコンに侵入する!」

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