※毎週火・金更新
※この作品は「プロローグ」から始まっています。
黒川先生が仕上げた設計図とそれを元に作り上げた私の模型は、次の打ち合わせで“とてもいいですね”という言葉をもらい、報われた。
その後、いつもの仕事と同じように、市の担当者の要望を聞いて設計図に細かな変更を施し、それと同時並行的に実際にホールを建設する建設会社との打ち合わせも重ねていった。
黒川先生は相変わらず以前の黒川先生ではなかったけれど、仕事はとてもきちんとこなしていった。きっと黒川先生は“表の顔”みたいなものを作るのが元々得意だったのだろう。黒川先生の核にはとても壊れやすい繊細な“天才”がいて、それを有能な実務者の仮面が隠し、さらにそれを気遣いがあり、優しく、あたたかい人格が隠していた。
善場先生の死から時間を置くことで、黒川先生は一つ目の仮面を復活させた。さらに時間が経てば、以前のあたたかい人格も復活させ、黒川先生は以前の黒川先生に戻るのではないか。表向きは……。ちょっと淋しいけれど、私はそんなふうに感じていた。
黒川先生は毎回外部の人との打ち合わせには遅刻も欠席もせず、決められた場所に余裕を持って現れた。必要があれば、事務所にも顔を出すようになった。
だから誰もが、黒川先生は時間とともに復活してきていると思っていた。
そんな矢先のできごとだった。
市の担当者との打ち合わせの前に事務所メンバーと意見のすり合わせをしようと、黒川先生が事務所に来ていた日のことだった。佐山さんが軽い確認の感じで訊いた。
「今サイトには、新規の仕事をお断りする文面を出しているのですが、既存の仕事も大分軌道に乗って落ち着いてきましたし、そろそろこの表記を消しましょうか?」
黒川先生は黙って佐山さんの質問を聞いたあと、長い間を取った。
佐山さんが、“これは今聞くタイミングじゃなかったか。しくじった”という顔をした。その場にいた他のメンバーも、急な雲行きの変化に体を強張らせた。晴のち雷雨のような天気のとき、急に空が陰り、風向きが変わって冷たい空気を肌に感じ始めることがある。それと似た緊迫感が事務所の一角を満たした。
「いや」
黒川先生は短く言った。私は心のなかで大きくため息を吐いた。まだダメだったか、と。きっと他のメンバーも同じ気持ちだっただろう。
「いい機会だから、今後のことについて、僕が考えていることを伝えておきたいと思う」
そう言って、黒川先生は佐山さんに事務所の全員を打ち合わせスペースに呼ぶよう命じた。佐山さんは“これから刑を執行する”と言われた死刑囚のような打ちひしがれた背中になった。
黒川先生は集まったメンバーに端的に伝えた。
「ホールの仕事も、他の、設計図は仕上がったけれど、まだ工事管理業務が残っている仕事もある。だから、この善場喜一郎設計事務所は当面のあいだ残す。
ただ、今抱えている仕事の設計をすべて完成させたら、基本的にこの事務所は私一人だけの小さな規模で、“続ける”というより、“残す”だけにしようと思う」
黒川先生の復活を信じ始めてきた頃だったのもあり、ほとんどのメンバーは大きなショックを受けているようだった。私もそうだ。しばらく誰も何も言えず、沈黙が流れる。まるでみんなが帰った後の、機械だけが信号を発しているような孤独な静寂だ。それが、メンバー全員が集まっている今、流れる。
「黒川先生は……」
考えるより前に、私は口を開いていた。黒川先生も他のメンバーも一斉に私を見る。
「黒川先生の設計事務所を新たに立ち上げるべきじゃないでしょうか」
「でも、ホールや他の、善場事務所の名前で受けた仕事がまだ残っているからね」
黒川先生は、出来の悪い生徒に説明するように言った。それは私も充分わかっていることだった。
「むしろ、そういう仕事は私たちがやっていけばいいんじゃないでしょうか。もちろん、黒川先生の力もまだまだ必要な未熟なメンバーなので、黒川先生にも協力はしてもらわないといけませんが、それは黒川事務所との提携みたいな形で、きっとできますよね」
「……そうするメリットは誰にあるんだ?」
黒川先生の口調は優しかったが、それでもその言葉は強かった。私は一瞬、怯みそうになった。でも、続けた。
「みんなに、です。私は、黒川先生の作った素敵な建物が、もっと世界に増えていって欲しいと思います」
設計図だけで、まるでその世界に実際にいるような心地よさをもたらしてくれたホールや、専門学校の校舎……そして実際みんなで足を運んだ長崎の教会。一人で見に行ってしばらく魅入った東北にある市役所……。そして、住む人にたくさんの笑顔を与えている数多くの個人邸。
私の言葉を聞いて、黒川先生はふっと笑った。
「かいかぶりですよ」
そう言って、黒川先生はどこか遠いところを見た。
「たとえデザインを考え、設計図を引いたのが私であっても、すべてはやはり善場先生の作品でした」
意味が……分からなかった。デザインと設計の前に、いったい何があるというのだろう。分からなすぎて、次にいうべき言葉が見つからなかった。助けを求めて桜井や西川さんを見たが、二人とも神妙な面持ちのまま黙っていた。その隙に、黒川先生が自分の計画をそのまま進めていった。
「みなさんの再就職先はできる限り、私も探しますし、再就職先が見つかる前に、無理やり追い出すようなことはしませんから、安心してください。みなさんの今後のことは、ゆっくり一人ずつと面談していきたいと思います。……一級試験のための実務期間が足りていない小池くんには、希望があれば、この事務所でしばらく一緒に残った仕事をしてもらおうかとも思っています」
まるですべてが決定事項であるかのような、事務的な話だった。
そうやって、善場喜一郎設計事務所は実質的に解散した。善場先生が亡くなってから半年後のことだった。
当初の予定通り小池くんだけは黒川先生の手伝いのような形でしばらく事務所に残ったが、他のメンバーは皆、それぞれ別々の場所に移った。桜井は善場喜一郎設計事務所と似た規模の設計事務所に移り、西川さんは大手建設メーカーに中途入社した。
西川さんは今回のことで、“自分が独立して事務所を持つ気はないこと、できれば大きな建築物を建てる仕事に関わっていきたいと思っていることが分かった”と言った。“あのままだったら、中途半端なまま年だけ取っていたかもしれないから、自分のこれからを見直す良い機会になった”とも。
佐山さんは大学時代の同期が立ち上げた事務所に移った。数年前に独立し、少しずつメンバーを増やしているところで、設計のことが分かりつつ、管理部門的な仕事もできる人を探していたのだという。
自分が目指すべき方向や、自分にできることを明確にしている人は、自分が収まるべきポジションも分かり、きちんとそういう仕事を見つけられるのだなと思った。
私も桜井と同じように、小規模の設計事務所に移った。小さな設計事務所には、労働時間などないに等しい、かなりブラックな労働条件のところも多かったが、そこは従業員のワークライフバランスを大事にすると謳っている事務所だった。私はそこでしばらく、一級建築士合格に力を入れようと思った。
次の就職先を決めた時期も、善場喜一郎設計事務所の退職時期もみんなバラバラだった。だからメンバーは、一、二週間に一人ずつのペースで、“いままでありがとうございました”と去っていき、事務所に主のいない机が増えていった。小池くんを除くと一番退職が遅かった私は、特に“ぽっかりと空いた穴”を強く感じた。
「淋しいですね」
メンバーが減るのに反比例するように事務所によく来るようになった黒川先生に言った。そのとき小池くんは必要書類を役所に届けるために、席を外していたから、事務所には私と黒川先生だけだった。黒川先生は随分以前の雰囲気に戻っていた。
「そんなことはないですよ」
それは、以前、羽賀さんに苛ついていた私をなだめていたのと似た口調だった。
「みんなそれぞれ、自分の未来をしっかり考えて、きちんと道を決めて、ここから巣立っていったわけですから、喜ばしいことです」
“ここでやりたいことを続けられた方が、巣立つよりずっと喜ばしかったのではないでしょうか”そんな意地悪な言葉は飲みこんだ。
「黒川先生はこれから、どうするんですか? 今はまだ残った仕事が色々あったとしても、それもあと半年とか一年もしたら、ほとんどなくなりますよね」
「そうだね」
そう言いながら、なぜか黒川先生はちょっと笑った。
「実は、細々とここで仕事もしながら、大学院に行こうかなと思っています」
「大学院……?」
今更何を学びに行くというのだろう。あんなに素敵な建築物をたくさん産み出せ、お客さんとも良い関係を築き、その要望を汲み取った設計もできるのに。
「もう一度、改めて色々な建築について学んでみようかと思って」
それは本当に黒川先生がしたいことなのだろうか。
「それは……」
そう言いかけて、私は考えを変える。
「それは……黒川先生が今度は……自分の名前で設計をしていく未来に繋がることなのですか?」
黒川先生はちょっと困った顔をした。
「いや……違いますね」
「そう……ですか」
私は一つ息を吐き出して、言う。
「それは……淋しいです」
黒川先生はまた困った顔をする。そして、ちょっと笑ったあと、急に言う。
「藤田さんは私を、可哀そうな人だとか、勿体ない人だとか思っていますか?」
「え?」
唐突な問いに戸惑う。もちろん意識的に、そんな風に考えてはいない。でも確かに、“黒川先生はもっと大きな仕事をしていくべき人だ。その才能があるのに、そうしないなんて”と私は思っていて、それは……きっと、今のありのままの黒川先生を否定することになっていた。
「そんなつもりはなかったですが……すみません」
「いえ、いいですよ。でも、人には人それぞれの生き方があります。人それぞれのしあわせや、満足があります。それは是非、これからの人生で、覚えておいてください」
「はい」
私は頭を下げ、そこで会話は終わった。
その二日後、私は善場喜一郎設計事務所を退職した。