今日は「伊豆文学賞」の授賞式に行って来ました。
そういうものに出るのは初めてだったので、よい経験でした。
すごーく疲れちゃったけど(普段は半ひきこもり生活だから、見知らぬ人と話すのにはすごいエネルギーがいる……。こういう性格と生活をまず改善すべきかも(>_<))。
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作家目線で頂いた感想
式自体は、お話を聞いて賞状をもらってという程度でしたが、その後に立食パーティー形式の懇談会を設けてくれていて、そこで選考委員の作家の方や、自分の作品を「下読み」して最終選考まで上げてくださった方などと話すことができ、それは感動でした。
選考委員は、杉本苑子先生、三木卓先生、村松友規先生。
杉本先生とは残念ながら一言も話せなかったのですが、あとの二人の先生からは色々アドバイスなど頂けました。
そして思ったのは、何十年も作家をしている先生方というのは、その何十年、小説のことを考え続けてきた方々なのだなぁ、ということ。
当たり前といえば、当たり前のことなのですが、実際に話してみると、その深さというか目の付けどころというかが、やはり純粋な「読者」とは違うのだと強く思いましたね。
それがとても興味深く、そしてそういう視点でアドバイスをもらえたということが、今はありがたいです。
村松先生からは、
「最終まで残ったけれど章に漏れた5作と受賞した5作には大きな差があった。でも、受賞した5作の差は、あまり大きくはなかった。この差は、ある意味、運かもしれない。たとえば他の候補作や、去年の受賞作に歴史物が多かったら、現代物が目新しく見え、高く評価してしまう、というような」
と、励ましの(?)言葉をもらい、色々な賞に出すことを奨励されたような感じでした。
「小説」という枠にはまらないこと
でも、三木先生には、その5作の間の差は歴然だったようで、少し厳しいけれど、深みのある言葉を頂きました。
「あなたは小説はこう書かなくてはいけないと思って小説を書いていませんか? もっと自由に表現した方が、あなたの良さはもっと出てくると思いますよ」
と。最近、技術にばかり目を向けすぎ、個性を見失っているなぁと痛感していた私には、結構きました……。
一言で「自由に」と言われても、なかなか難しいのですが、ある程度「小説らしい小説」を無難に仕上げられるようになった今は、外側の形式ではなく、自分自身の内側にある、「書きたい」という思いと密接につながっている何かにもっと目を向け、自分らしさを出していかなくてはいけないのでしょうね。
三木先生は帰りがけ、わざわざ私を呼び止めて、そういうアドバイスをくださり、「頑張って」と言ってくださいました。感動です。
その言葉を無駄にせず、これからに生かしていけたらいいです。
一番光った部分
あと、これは「個性」を見失っている私には関係のない話かもしれないのですが、村松先生の一言がとてもおもしろかったので、紹介しておきます。
これは、「デビューするために賞を獲るには、それなりに賞に合わせる必要もある。あまりに突拍子もないものはなかなか選考に残らないから」という話の続きなのですが、「でも、賞に落ちるその要因こそが、本当はその人の一番光った部分であるかもしれない」という一言。
ほとんどの人は「ただ下手」とか、「凡庸」という理由で落とされているのだとは思うのですが、村松先生のその言葉は、なんかおもしろかったですね。
そして、賞のために無理して「凡庸」なものを書くというくらい、もともと強い個性を持っている人でないと、デビューをしても残って行かれない世界なのだろうなということを思いました。
ということで、微妙に自分の限界などを感じたりもしましたが……負けませんっ!(笑) ということで、なかなか有意義な日でした。
そしてもらった「目録」の副賞に「新潮文庫100冊」と書いてあり、かなり驚きましたが、それが届くのを楽しみに待とうと思います(それが5万円以上したりして……(笑))。