スピリチュアル系の本を読むと、
とにかく行動は「直感に従って」というように書かれている。
でも、最初の頃は、“これって直感?”“頭で考えたことじゃない?”とよく分からないと思う。
だから、直感に従って動いたのに、それが思うような結果にならないと、
「あ~、やっぱりあれは直感じゃなかったか」
「まだまだ私には直感何て働かないな」とか、がっかりしがち。
でも意外と、そういうことではないかもよ、というのが今回の記事。
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差は打率ではなく、打席数かも
たとえばSNSで色々結果出している人を見ると、華々しいところだけ見て「うわぁ、すごい」と思う。
でも、最近、ちょっと気づいてしまった。
そういう人って、良い結果もたくさん出しているかもしれないけれど、種も相当撒いているぞ、と。
つまり、色々な結果が出ているように見えるのは、(波動が高いとか、周波数がいいとか、色々あるんだろうけれど、それ以前に)「とにかく動いているからなんだな」ということ。
同じ打率1割なら、100回トライすれば10回成功するけれど、10回しかトライしなければ1回しか成功しない、ということ。
さらに5回しかトライしなければ、成功が0回という可能性も50%はあるよ、ということ。
当たり前だけど。
でも、結果が出ない、と言っている人は、途中で「やっぱりダメだ」と諦めて、トライの回数を増やそうとしていない。
だから、結果が変わってきてしまう。
「ダメだった」かも本当は分からない
そうは言っても、自信がないときは、一回でも失敗したら、「あー、やっぱり私にはダメなんだ」と思いがち。
私は、最近は結構自分の直感に信頼を寄せることができてきているけれど、それでも、かなり勇気のいる行動をしたのに、「あれ?!」というくらいの肩透かしをくらうと、凹む(笑)
で、最近、ちょっと「え~、なんで~」と感じたときに、考えた!
これはダンジョンを攻略しているのと同じだ!と(笑)
私はあまりゲームはしない方だけれど、子供の頃「ドラゴンクエスト」は1~5くらいまでやっていた。
当時はYouTubeで誰かが攻略法を教えてくれるということもなかったから、攻略本なるものを買って、それとにらめっこしながらとか、やっていた。
今、子供がやっているゲームを見ると、ヒント満載で易しそうに見えるのだけれど、当時のゲームはかなりシビアで、決められた順序通りにひとつひとつこなしていかないと、次に進めなかったように思う。
特に苦戦したのがダンジョン。
リアルでも方向音痴なのに、前後左右数マスずつしか見えないダンジョン(地下迷路?)は難易度高すぎ。
さらに難易度が高いダンジョンになると、まず右に行って、そこにあるボタンを押すと「何か動いた音がした」みたいな文字が出て、左側の目的の扉が開いている……みたいな、トリッキーな細工まであった……記憶がある。
リアルな世界でそんな仕掛けに出会ったことはないけれど、
「直感に従って行動したのに、どうして先に進めなかった?」みたいに感じたときは、こういう仕掛けを想像してみると、ちょっと楽しいんじゃないかな。
勇気を出して行動してみたのに、思った結果に繋がらず、“あー、ここから先に進めると思ったのに、行き止まりだった”みたいに落ち込みそうになったときは、
「よし、これで新しい方向の道が開いたんだ。そのためのこれはスイッチみたいな行動だったんだ!」
と思う(笑)
そうやって考えると、失敗も、無駄なことも何もないと感じられて、次からまた「直感に従って動く」ハードルが下がるんじゃないかな。
私は行動至上主義じゃないし、私自身あまり行動量は多い方ではないけれど、やっぱり動いたほうがいいときはあるし、動くのにちょっと勇気が必要なこともある。
だから、失敗を恐れず、ちょっとの勇気がでるような考え方として、今回はこの記事を書いてみました!
過程を味わおう
RPGのダンジョンだとイメージが湧かない人は、箱根の寄木細工の箱のイメージでもいいかも。
あれもまず右の部品を下に少し動かして、次に奥の部品を左に動かすと、ようやく大きな上の板が少し動くようになり……それから……みたいに、直接的ではない細かい手を加えていくうち、最後には開く仕掛けになっている。
若い頃は人生って、「目的地にどれだけ早く行きつけるか」の勝負のように感じていたけれど、本当は過程を味わうもの。
そうだとすると、直線的に辿り着いてしまった目的地より、ぐるぐる遠回りしながらも、最後に辿り着ける、迷路の出口みたいな目的地もいい。
自分らしいペースで、今ここの一歩一歩を味わいながら、進みましょう♪