今回のブログは『引き寄せの法則の本質』の引用から。
毎晩ベッドに横たわるとき、「内なる存在」を認め、それとのつながりを認識してもらいたい。
まどろむ前に数分間、ベッドに横たわり、自分自身の幸せの息吹を浴びてもらいたいのだ。
「内なる存在」はあなたを純粋で肯定的な力強いエネルギーで満たすだろう。
愛情にあふれた「内なる存在」の働きによって、身体が完全にリフレッシュされるのを許すと決意してもらいたい。
そして新鮮で幸せな気分で目覚めると心に決めてもらいたい。
朝、目覚めたら、たった今身体に戻ったばかりだということを認め、即座に次のような明確な目標を持とう。
「今日の第一目標は、自分を気持ちよくしてくれるものを探すこと」
気持ちが良ければ、肯定的なものを引き寄せる場所にいられるからだ。
気持ちよく感じていれば、あなたはより広い視点やより大きな意図と完全に同調しており、自分にとって好ましいものだけが訪れるようになる。
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大切なのは、どこに意識を向けるか
「自分を気持ちよくしてくれる」という言葉は、受け身的で、一見すると「しあわせを感じられる環境に身を置きなさい」みたいに捉えてしまうかもしれない。
でもこのエイブラハムの言葉で大切なのは、それを自分の意志で「探す」ことの方。
元々良い環境にいれば、「自分を気持ちよくしてくれる」ことはたくさんあり、探すのも容易で、だからそこに焦点が定まり、さらに「自分を気持ちよくしてくれる」ことが集まってくる。
でも逆に、一度悪い環境に置かれてしまうと、人はその現状を見て、「あれもダメ、これもダメ。あれも嫌、これも嫌」と、悪い方にばかり目を向けてしまう。
だから、さらに悪いことが増えていく。
それが引き寄せの法則。
だからエイブラハムはブレず、ずっと言っている。
どんな状況に置かれていても、特にあまりしあわせとは言えない環境にいるときほど、
「良いものを探すのだ」と。
それは、自分の固い意志の力をもって。
自然に流されていたら、環境が悪ければ、悪いことばかりが目に入る。悪いことばかりに目が向き、意識が向く。
でもそれでは、「引き寄せの法則」を知らない多くの人と同じように、下降の人生を辿ってしまう。
特別な「行動」をしろとは言っていない。
ただ、「意識」を自分の意志で操作し、
意識の焦点を、自分の意図でしっかりコントロールしなさいと、エイブラハムは言っている。
慣れないと、それは行動以上に難しいかもしれない。
でも行動ではなく、ただの意識だから、たとえ寝たきりになっていようが、お金がまったくなかろうが、忙しすぎて時間が取れなかろうが(それでもトイレに行く時間くらいは誰にでもある)、そんなものは関係ないし、できない言い訳にはならない。
つまり、「やる」と決めれば、誰でもできることしか、エイブラハムは言っていない。
「脳卒中で半身不随」から回復した人の話
以前、脳卒中で半身不随になり、回復は見込めないと医師から言われたものの、回復して退院した人の本を読んだ。
その人は入院中、記録をつけていたそう。
何の記録かというと、
「どんなに小さなことでも回復した点」
最初は「指先がほんの少し動いた」とか「顔色が昨日より少し良くなった」とか本当に小さなこと。
お見舞いに来てくれる人や看護師さんにも「お世辞でもいいから何か書いてほしい」と頼み、記録を積み重ねていった。
一人の夜などにそのノートを見返すことで、書いてくれた人の愛も感じられたし、自分の確かな前進を感じられて、励まされたとか。
こういうことなんだよな、と思う。
誰しも、“もうダメだ”と思うような最悪な状況に陥ったり、“いいことなんて何もない”という絶望的な気持ちになることもあると思う。
でも、そのなかに本当に一つも救いがない、なんてことはない。
でもその救いや光は、「もうダメだ」と目をつむってしまっていたら、見つからない。
だから、目を開けて、それを見つけよう、見ようとする意志だけは、どうしても、自分のなかに必要なんだ。
でも、本当にそれだけあれば、人生は好転していく。
ほんの少しずつかもしれないけれど、変わっていく。
そして、ほんの少しは、積み重なれば、結構な高さになっていく。
良いお年を!
ということで、
そろそろ今年も終わり、新しい年になる。
そうしたら、新しい年の朝は特に、
「今日の第一目標は、自分を気持ちよくしてくれるものを探すこと」
そう思って、目を覚ましてみよう。
書きたいことあったら、今年中にまたブログ更新するかもしれないけれど……
一応、ブログ収め。
良いお年を♪
『引き寄せの法則の本質 自由と幸福を求めるエイブラハムの源流』