過去Diary

びっしり日記を書く理由

 このホームページを公開してから、そろそろ10日ぐらいでしょうか。
 
 考えると私はこのページを作る以前から、一日これくらいの量は余裕で、日記を書いてきたような気がします。もちろん、もっと固有名詞だらけで、事実の羅列っぽくはありますが。
 
 日記は、中学生、高校生の頃も書いていましたが、高2で部活を引退して、受験勉強を始めてから、毎日大しておもしろいこともなかったので、やめていました。でも、大学1年の7月ぐらいから、また付け始めたのですよね。スケジュール帳の週間スケジュールのところを、私の書けるもっとも小さい字で、埋め尽くすのです。ぱっと見ると、一ページ真っ黒で、のぞき込んだ人はみんな一瞬、言葉を失っている(笑)。
 
 私は時々、これは私の弱さだな、と思います。一日一日、したこと、感じたことを書いて、あー今日はこれだけのことをしたから大丈夫、そう自分に言わないと、安心できない、という弱さ。
 
 私は、大学1年の6月に、プロを目指している劇団を、「挫折」するような形で、やめています。(まあ、それでもあきらめずに、あと2つほど劇団に、それから入ったりしているのですが…)私は、本当にその劇団と、その劇団にいる人たちが好きでした。結果として、私はそこを出ることになってしまいましたが、そこのことを悪く言う気は、今でも全然ないですね。
 
 でも、そこにいる人が、本当に輝いて見えるから、やっぱり自分と、彼らを比べてしまったりする。一年ぐらいは、ずっとそんな思いとの戦いでした。だから、(彼らにとってそこにいることはプラスであっても)私にとっては、そこをやめたことが、こんな風にプラスに働いているじゃないか、多分、私は日記を書くことで、自分を納得させようとしてきたのですね。

 誰の言葉か忘れてしまいましたが、「人生というのは、偶然の積み重なりのように見えて、でも死ぬとき振り返ってみると、夜寝るときに見る夢のように、自分の意志に貫かれて、形成されているものだ」「人生のうちの、たった一つ些細な出来事でも、それがなければ今の自分はない、だから人生のうちのただ一つでも否定したら、その人の人生は崩れ去ってしまう」と言っている人がいました。私は、自分の過去の出来事を、全て受け入れ、肯定していきたいとおもいます。難しくて、時間のかかることだとしても。

-過去Diary

© 2024 凪 Powered by AFFINGER5