野中柊

野中柊「テレフォン・セラピー」

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 最近一番良かった本は?と聞かれたら、この本を真っ先に挙げる。
 
 小説は好きだけれど、エッセイはほとんど読まない私にしては珍しく手に取ったエッセイ集。柊さんの「草原の輝き」という小説は人に薦めるほど大好きなのだけれど、次に読んだ作品が合わなかった。だから柊さんというのは、そのまま「もう読むことはないだろうな」と思っていた作家だった。

 それなのに思わず手に取ってしまった本。そういうのも運命みたいなものなのだろうか。誰の心にも響くものではないのかもしれないけれど、私にはすごく合ってしまった。

 この本は前編を通して、「気楽に楽しく生きようよ」というメッセージに溢れている。でも作者は決して気楽になど生きていない。人生の様々なことを深く考え、そしてすべての部分であまりにもpureすぎて、しばしば傷ついてしまう人なのだろうなと分かる。そのまっすぐな痛ましいほどのエネルギーが自分の心も打つ。
 
 最近私は、いろいろな作家のデビュー作を読んでは、「なんでこのレベルで賞なんてとれるかなぁ」と心の中だけで悪態をつき過ごしているのだけれど(汗)、久しぶりに、「私の心がけが間違っていました」と懺悔したいような気持ちになってしまった。私はこの人ほどしっかり世の中と向き合っていないな、と。

 この本の良さは、多分読んでみないと分からない。だから、「是非読んで!」と叫ぶくらいだ。友達には送りつけて強制的に読ませようかなんて思ってしまう。

 たとえば第一章で、柊さんはよくキリスト教で用いられる詩を引いている。ネットで調べたら、マーガレット・パワーズという人の書いたものらしい。

「ある夜私は夢をみた 
イエスさまと一緒に砂浜を歩いていた
私の人生のひとこまひとこまが、空いっぱいに映しだされた

どの場面にも二人の足跡が、砂の上についていた
ひとつは私のもので、もうひとつはイエスさまのものだった

私の人生の最後のシーンが映し出されたとき
私は砂の上の足跡をふりかえってみた
なぜかところどころ、一人分の足跡しかないことに気づいた
しかもそれは私の人生のどん底で、いちばん悲しい時だった

私はどういうことかわからず、イエスさまにたずねた
『イエスさま。私があなたに従うと決心してから
いつも一緒に歩いてくださると約束してくださったではありませんか
それなのに私の人生で一番辛い時、一人分の足跡しかないのです
なぜ私があなたを最も必要とした時、私をみすてられたのですか』

イエスさまはこう言われた
『私の大切な子よ。私があなたから離れたことはいちどもなかった
あなたが試みにあって苦しんでいた時、一人分の足跡しかないのは、
そのとき私はあなたを背負っていたからだよ』」

 こういう詩。この詩は以前聞いたことがあったが、クリスチャンでなくても心が温かくなる。

 でも、柊さんの文章はその話を紹介するところでは終わらない。こういう風に続く。

「たとえ、これがただの作り話だとしても、こんなにも美しいストーリーを考え出せるなんて、なんて人間ってすばらしい存在なのだろう」「神様の慈悲深さ、温かさ、力強さは、そっくりそのまま、人間の慈悲深さ、温かさ、力強さなんじゃないかしら? そういう潜在的な美徳のパワーを持った人間として生まれてきたんだもの。自分を大切にしなくちゃね」

 私はとにかくこの本、とても泣けました。

 で、柊さんの他の小説に手を伸ばしてみた。

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