慶良間 阿嘉島で感じた「待つこと」

8月の終わりに沖縄県の慶良間諸島の中の阿嘉島へ行って来た。

ダイビングをするようになってから、島へ行く機会が増えた気がする。そして都会とは全く違う島の空気や生活のリズムを感じることも、旅の楽しみになった。

 

待つことを知っている尊さ

阿嘉島へ行ったのは今回が初めてだったが、そこでまず一番気になったのは、道の狭さだった。

そう大きな島でもないが、住んでいる人も少ないから、土地はたくさんありそうなのに、村の人は集落に集まって住み、その家と家の間が、かろうじて車が通れるかどうか、というほど狭い。

だから車同士が行き交う時だけではなく、車と自転車さえ行き交うことができない。集落自体が狭いから、車などなくても歩けるとも思うが、なぜこんな不便なのだろう、もっと道を広くすればいいのに、と思った。

 

ただその島に数日滞在するうちに、村の人たちはその「待つ」ということに苦痛や疑問を感じたりはしないのではないか、と思われ始めた。

「道を広くすれば便利なのに」と思う感覚は、二分に一本は来る山手線に必死に駆け込む「都会」の人間の感覚なのかもしれない、と。

車を道に少しだけ止めておくとき、Uターンするとき、「少しだけ待っていてください」と相手に伝える。そして「どうもすみませんでした」という言葉をかけ、相手も笑顔で応える。そういう当たり前のふれあい、会話、そして心の余裕。都心にいると忘れそうになる。

 

たとえば東京で、人身事故のために電車が止まる。夜なら酔っぱらいということもあるだろう。でも、朝のラッシュ時に起きる事故は、死にたいと思い詰めた人が起こしたもののことが多いはずだ。

それでも人身事故が起きたというアナウンスを聞き、その人のことを心配する人はいないように見える。みんな、自分が会社や学校へ行くことに必死だ。都会の人間は、「待つ」ということに慣れていない。

でも、もしかしたら、一分一秒を争うように生き、常に「忙しい」と思いながら生きるより、心を広くし、小さなことは笑って受け入れ、ものごとをゆったりと待つ生き方の方が、案外、有意義に生きられるのかもしれない。

 

ただただ青く広がる海と、その上にぽっかり浮かぶ雲、島全体を常に覆っている静けさ、急ぐ人などいない細い道。

そういう中で、私の心は風船のように柔らかく膨らみはじめる。急ぐべき目的など何もないように思えてくる。ゆっくり深呼吸する。

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