3度目の高野山/信仰心

2年ぶり3度目の高野山へ。

1度目、2度目に訪れたときのことは下記記事で。

高野山・奥の院の樹木の力がすごい
高野山再訪/所詮自分は人間

千葉県の家を8時前に出て、高野山に着けるのは2時半頃。

つまり7時間近い旅路なのだけれど、今の自分にとっては高野山奥之院が一番のパワースポット。

 

弘法大使と千数百年の信仰が生み出すエネルギー

何千年も生きてきたような樹木と、何千年も続く弘法大使への信仰心。

ケーブルカーで「山」に入ったところから「仏教都市」なのだけれど、奥之院の一角はまたさらに深い気を感じる。

 

最近結構スピリチュアルなことに関心を持つ人が増えてきてはいるけれど、昔は見えないものを信じることが当たり前だったのだよな、ということが痛感させられる場所。

774年生まれの空海が、今まだ死なず、奥の院の一番奥で入定(瞑想)していると信じ、毎日二度食事を運んでいるという信仰心。

そして確かに感じる、ものすごいエネルギー。

 

それは弘法大使のものなのか、この千何百年もの年月、弘法大使を信仰し続けてきた人の想いなのか。

 

それは分からないけれど、もう、どちらでもいいように思う。

 

今回も「本当にここまで来られて良かった」としみじみ家族に言う年配の男性がそばにいて、その想いにも心打たれる。

流れるエネルギーと抵抗

最近本当に、物事をややこしくしたり、良いものを止めたりしているのは自分の思考だなと思う。

今回弘法大師御廟の前で手を合わせたとき、頭からエネルギーが入り、体中に広がり、温かくなった感覚があった。

そうだよ、このエネルギーなんだよ、すべてはと思った。

 

そして「すべてに感謝を。すべては必然だから」という言葉を感じた。

 

もう、来て欲しくないものが来ないように必死でガードしようとしたり、色々なものをコントロールしたり、ジャッジしたりしたくなる想いを捨てたいと思ったよ。

 

パキラの稽古のとき、稽古の前にみんなで輪になって手をつなぎ、瞑想してから始めていた。

そして瞑想の最後はこの言葉を唱えて終わった。

「全知全能すべてなるエネルギーよ。私に明晰さを与え給え。私をあるべき存在状態に導いてください。

私は今この瞬間、世界への信頼と深い安堵感を思い出す」

  

この言葉、好きで、今も頭の中でよく唱えているのだけれど、宗教も最終的なところまで突き詰めると、結局は同じ「エネルギー」なんだと思う。

 

小説を書くとき、できるだけ自分を無色透明にして、来る感覚をそのまま拾いたいと思っている。

それはもうずいぶん前から。

 

でも作品創りのときだけではなく、もっと人生もそうやって「来るもの」「流れるもの」に委ねるべきなのだ、と今回改めて感じた。

もっと流れを信じ、自分を開放して生きたいと思う。

 

それは一種の信仰心であり、

世界への信頼と深い安堵感への近道でもある。

 

奥之院以外の話

今回も1泊2日の旅程で、宿坊に泊まった(今回は福智院というお寺)。

奥の院には1日目・2日目とも行き、2日目は他に金剛三昧院と金剛峯寺にも。

 

金剛三昧院はそんなに大きくないけれど、人が親切で温かい場所だった。

北条政子が、源頼朝と実朝を祀るために建立したお寺らしく、大河ドラマに合わせて五重塔内部が特別解放されていて仏様を拝め、良かった。

金剛峯寺は広くて庭も綺麗だけれど、3回行ったらそれそろもういいかな……と思う。

ただ千住博さんの奉納された襖絵は素敵なので、是非見て欲しい。

そして今回、なぜかその襖絵の前に千住さん本人がいて、きゃ~!!となった。

高野山は2019年に行ったときは8割くらい外国人だったけれど、コロナ後はぐっと減った。

今年は日本人の団体旅行が多くなった印象だった。

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