日記的なもの

花火:しあわせな場所に辿り着いた選択の数々

職業訓練校の同じクラスの人達と足立の花火を見に行った。

前日にわざわざ席をとっておいてくれた人達のおかげで、真っ正面の最前列で見ることができて、とてもよい経験だった。

前の方の席だと、火薬の破片(?)やたまに火の粉が飛んでくるということも初めて知った。

花火を見たことがない人は少ないだろうけれど、雨のように火薬のかけらが降ってくるという体験をする人も少ないだろう。そう考えると、貴重だ。

 

しあわせな場所に辿り着いた選択の数々

花火を見ていて一番強く思ったのは、ただ単純に、そこにいて幸せだと思える時間を持つことの大切さ。

その時間がたとえとても短くても、その幸せがとてもささやかで、他の人には分からないようなことであったとしても、それは大切だと思う。

なぜなら、その時間、その状態で、その場所にいるということは、今までの全ての選択の積み重ねの結果だから。

多分誰でも生きている内に、いろいろなことで悩み、岐路に立ち、道を選んできている。

その選択は、深く考えた末のものであったり、半分投げやりに決めてしまったものであったりする。

私達は、なにか上手くいかないことがあると、自分の選択がどこかで間違ってしまったのではないかと不安になったり、後悔したりする。基本的にプラス思考で、後悔などほとんどしない私でもやっぱり時には、自分の選択を悔いたりする。

 

ただ、理屈ではない「幸せ」を感じられた時、ここにいる自分は何一つ間違っていないと、自信を持つことができる。

あの時の小さな選択も、それよりもっと前の大きな決断も、ひとつでも違っていたら、私はここにはいないから。ここにつながる道は多分一本だけだったはずだから。

 

多分他の道を選んでいても、その人生にも、理屈ではない幸せな時があるのだろう。そうは思う。

でも、今の人生でも、心から幸せだと思える時間が存在するなら、やっぱり自分の今までの生き方は間違っていなかったのだと考えたいし、そういう風に思える時間を大切にしたいと思う。

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