過去Diary

塾の「教育」

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 今年中学受験をする六年生を二人受け持っている(それもなぜか算数)。

 そのうち一人は、一生懸命でまじめなのだけれど、とてもおとなしく、正直あまり出来は良くない女の子(Kさん)だ。

 受験まであと5ヶ月を切り、結構、不安。

 Kさんは、先週から受験用のテキスト(「つるかめ算」とか「旅人算」とかでてきちゃうような)にしたのだけれど、今日は宿題の半分近くが空欄で固まった……。
 
 でも、「まじめにやらないからできない」というのではなく、「一生懸命にやってもできない」ということが伝わってくるから、対応には気を遣う。

「初めは誰でもできないものだから、大丈夫だよ」「確かに難しい問題、出し過ぎたね」

 などと、私が優しい言葉を、めいっぱいの笑みで言っているところなど、きっと私のことを知る多くの人には想像もつくまい……。

 でも、なぜか子供に対してはできてしまうのだ。それは不思議(笑)

 けど、口ではそう言っても、心の中では「どうしよう」とかなりパニックになっている。あー、受からせられるんだろうか……。長い人生、中学受験に失敗したくらいでは、とりかえしのつかない状況になんて陥らないと思うけれど、月謝の額などを知ってしまうと重い……(1時間半の授業一回で八千円らしい。おそるべし)。

「教育」って本当は、成績とか偏差値だけじゃ語れないものだ。でも、資本主義経済の中にあっては、お金を出して頼まれたこと(合格させること、成績を上げること)をしっかり提供するしかないのだろう。

 授業のときは「先生」と「生徒」だけの関係なのに、お金の流れ的には「親」と「会社」の契約、「会社」と「先生」の契約になり、そこに「生徒」の入る余地はない。
 塾ってある意味、変わったサービス業だ。

 今日の授業でも、私がいっぱいいっぱいになりながら、必死に分単位で授業をしているのに、Kさんは非常にのんびり、きれいにノートを取り、授業の途中にトイレにまで行ってしまった……。

 でも、そんなマイペースなところが彼女の良さなんだよなぁ。宿題が難しくても、問題がまったく解けなくても、悲壮感を漂わせたりしない。

 自分のペースで生きればそれが一番いいことだよ、彼女にそう伝えるのが「教育」だったらいいのにな、と思ったりする。

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