芸術に関する考察

文章の力

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 文才があるとかないとかにかかわらず、文章には力がある。そしてそれは人に対しても発揮されるし、自分自身に対しても働きかける。プラスの働きかけもあれば、マイナスの働きかけもある。
 
 今日テレビで、「積木くずし」のモデルとなった女性が先月亡くなっていたということを、作者である父親が語る記者会見を見た。私自身は年齢的な問題だろうけれど、その作品の名前は知っているものの本を手に取ったことはない。ただ内容から推し量るに、自分のことを親からそのように書かれ、世間に公開されたらつらいだろうなということは分かった。記者会見の中で作者は言っていた。

「自分があの作品を書いていなかったら、娘はもっと長生きしていたのではないかと後悔の気持ちもある」

 と。あぁ、人の命を縮める文章ってなんだろうと思った。

 以前私はカメラにはまり、写真のサークルに入っていたことがあった。そのとき、先輩にこう言われたことがある。

「カメラを向けて相手に拒絶されたり、迷惑そうな顔をされるのが嫌だと思うなら、写真なんて辞めた方がいい」

 その先輩のことは嫌いではなかったけれど、私はその言葉と考え方は受け入れられなかった。それよりは他の人に言われた、

「人の写真を撮るときには、その写真を相手に渡し、喜ばれるようなものを撮れ」

 という言葉の方がずっと好きだ。表現ってそういうものだと私は思っている。

 私は「小説家になりたい」とかなり本気で思ってはいるが、自分に文才というものがあるかどうかはよく分からない。でももし、本当に文章を書く力というものが人よりも多く与えられているとしたら、私はなおさらそれを人を傷つけることには使いたくない。

 そんなの、芸術家を目指すなら生ぬるいよと、誰かには言われるかもしれない。それでも譲れない価値観を持っていても悪くはないと思う。

 多くの人に読まれるベストセラーなんて書けなくてもいい。ただ自分と同じ視点を持っている人に、「この世界を感じている時間が心地いい」と言ってもらえるものが書きたい。すぐそばにいる大切な人に「よく分からないけれど、少しあたたかい気持ちになれた」と言ってもらえるものを書きたい。

 きれいごとかもしれないけど、私は文章の力というものを信じている。そして少しだけ恐れている。

(余談だけど最近私をあたたかい気持ちにしてくれる作品はドラマの「Dr.コトー」。純くん……なんか「純くん」というのが彼の本名の気がしてしまう。本当は吉岡くん、ね……かっこいい!!! あとこのドラマはストーリーより演出や撮影、出演者の演技がいいと思う。微妙な間の取り方が、島の生活というものを表現している)

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