映画化もされたミステリー。
「生活保護」など社会保障は、本当に弱者を救えているのかを問う骨太な作品。
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ミステリーは手段か目的か
ミステリー界の大御所・東野圭吾さんが以前、
「初期作品のような、殺人事件があって、トリックがあって、犯人はこの人、というような意外性だけの作品では物足りなくなってきました。これならいくつ書いても同じだと思うんですね。まだ試行錯誤の段階ですが、ミステリーではないといわれてもいいから、そいういう作品は避けて通りたいと思っています」
と言っていた。
私はミステリーをよく読むけれど、「本格推理」みたいなジャンルは全然読まない。
むしろ、ミステリーというジャンルで書かれた「人間ドラマ」に惹かれることが多い。
この「護られなかった者たちへ」も、ミステリーは目的でなく手段だと思う。
作者の中山さんが生活保護の実態について、どれほど強く警鐘を鳴らしたかったのかは分からないけれど、生活保護について取り上げたのは、ミステリーを書く「手段」であって、ただのおまけだ、ということはないだろう。
筆は剣より強い
この本は生活保護申請を却下された「おばあさん」を巡る復讐劇。
それがかなり最初の方で分かるから、心が少ししんどくなる。
福祉の問題を公にするために、殺人を犯さなくてはいけないのか、と。
でも、一歩離れて見て、同じ訴えをこの本の作者は筆の力でやっているのだと思うと、それは非常に大きな救いだなと思った。
ラストでちょっと分からなくなった
ただ、全体の9割くらいまでは、ミステリーはただの「手段」であり、目的は社会構造にメスを入れることという、骨太な作品なのだろうと読んでいた。
映画化されたときの見せ方も、そうだったように思う。
でもこの小説はラストに、ちょっとしたどんでん返しがある。
ネタバレになるから、詳しくは書けないのだけど、どんでん返しは二段階構造になっている。
一段目は私くらいの読み解きレベルでも、「やっぱりそうか。そこで返してきたね」という感じ。
でも、二段目は「ほう、なるほど。そう来ますか」って感じだった。私には。
ただこの「どんでん返し」は曲者だなと思った。
これがあることで、「ミステリー」感は強まる。
ミステリー小説だと思って、これを読んでいた人は、このどんでん返しで評価が上がると思う。
でもこれをリアルな現実を描き出すことを目的に書かれた「人間ドラマ」として読んでいると、このどんでん返しがあることによって、細かい部分にたくさんの破綻を見つけてしまう。
一段目のどんでん返しもないと、この小説のラストは本当に救いのないものになってしまうのだけど、でも、「文学」としての質をとるなら、ミステリーは捨てて、もう、そっちの方向なのかな、と私は思ってしまった。
ただ最終的にはもう、作者と読者の好みで、作者と読者の好みが合えば評価が高くなるし、合わなければ評価が下がる、もうそれだけなんだな。
ということも、今回改めて分かった気がする。
突き詰めると……芸術性か大衆受けか
前に読んだ「赤と青のエスキース」でも「エピローグ」はあった方が良かったか、ない方が良かったかについて、考えさせられた。
この場合、エピローグは各章の答え合わせみたいになっているのだけれど、あまりにも露骨な答え合わせだから、ない方が「文学的」だよなと思った。
でも、これがあったから、「どんでん返し」的に働き、本屋大賞ノミネートなんだろうな、と感じた。
逆にこれがあるから、直木賞や他の文壇系の賞は取れないだろう、とも。
私個人の感想だけどね。
結局は好み。
それに尽きる。
そしてプロの作家は、好みが違う人に何やかんや言われても、「私はこれが好みなんで」「これが私の作風なんで」と言い切れる人なんだろうな、とも思った。
私も、もっと強く行きたい!
色々書いたけど、良い本だった
と、ラストについては色々思ってしまったけれど、全体的にはとても良い本だった。
特に殺人事件の背景にある動機となった出来事の描写(生活保護申請を却下されたおばあさんと主人公たちの関係や、それを補強するエピソード)が秀逸で、主人公に肩入れせずにいられない物語になっている。
中山さんの本は、話題になったデビュー作(「さよならドビュッシー」)を手に取ったことがあるけれど、ライトノベル的な文体と展開に早々に挫折してしまった💦
それからものすごい勢いで書いている人のようだけれど、「護られなかった者たちへ」は、「さよならドビュッシー」とは別の人の作品としか思えないほど、しっかりとした文体と設定と描写と……で、驚いた。
書き続けると、上手くなるんだなぁ。という希望。
(ただ私が「護られなかった者たちへ」のような書き方が好きというだけかもしれないけど)
中山さんの本は、少し置いてまた読んでみたい。
中山七里「護られなかった者たちへ」