芸術に関する考察

勝ちと負け

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 類は友を呼ぶということなのか、演劇をやめてからも演劇をしている(していた)友人というのは増えつづけている。今日は、友達が先月までいた劇団の公演を、その友達と一緒に見てきた。
 
 友達の劇団というのは、いわゆるお金にならない小劇場ではなく、子供を相手にした一応「プロ」の劇団だ。随分昔の話になるが、「十年愛」というドラマを見ていた人なら、その中で「嵐」が入っていたような、全国の小学校を回って劇を披露していく劇団といえば通じるかもしれない。彼女の劇団も普段はトラックやフェリーに乗り、全国津々浦々旅をしている。でもたまに東京近辺の公民館で少し大きな公演を打つ。今回もそういう特別公演だった。題目は「オズの魔法使い」。そしてお客のほとんどは子供とその保護者だった。

 彼女は半年前、その劇団のオーディションで「ピーターパン」役として採用された。そして旅に出ていたが、演出家の求める演技ができなかったということで、やめさせられてしまったらしい。私は彼女の演技をうまいと思うし、その演出家もオーディションで選んでおいて、「求めているものと違う」と彼女を半年で切るのはどうかと思うのだけれど、表現の世界というのは、そういうシビアで理不尽なものだ。

 彼女は今日会ったとき、「なんとなく一人では行きづらかったから、来てくれて良かった」と私に言った。私も、もう随分昔のことだけれど、同じような経験をしたとき、以前の劇団の公演を見に行きたいけれど、一人では心細いと感じていたから、少し彼女を支えてあげられてよかったと思った。

 彼女は思ったより元気だった。大分ふっきれているようだ。ただ劇が終わって一緒に飲みに行くと、本音が覗く。

「今日の劇で○○の役を演じていた人が、私の次のピーターパン役なの」

 彼女は言った。

「うまいなと思った。悔しくない、うらやましくないといったら嘘になる。でも、あの人なら私より上手にピーターパンを演じられると思う」

 私は友達の演技も上手だと思ったが、今日見たその彼女にも、役者としての華のようなものや、演技の自然さがあったから、下手な慰めは言わなかった。

「負けたな、と思った。人と比べても仕方ないけどね。ただ、負けたなと思ったとき、以前ならそれが劣等感になったけれど、今は、私も自分の個性を伸ばすぞというように考えられるようになった。ただ、自分より下手な人を見たとき、私のほうが勝ったなって、変な優越感を持ってしまう。そういう比べ方って、意味ないと思うし、そういう風に思ってしまう自分を嫌いになってしまうんだけど」

 彼女はとても素直で純粋な人だから、そんなふうに感じてしまうのだろう。巷で「世界で一つだけの花」がはやるのは、みんなが「そうよね。比べる必要なんてない」と言いきれるからではなく、比べる必要などないと分かっていながらも、人と自分を比べ、苦しんでしまっているからだと思う。だから本当は、人と自分を比べることをおろかなことだと悩む必要などない。だってみんなそうだから。

 それが多分、現実。もっと年をとれば違うのかもしれないけれど、今の私たちの現実。 でも、その現実を分かっていてきれいごとを言うのだけれど、

「勝ち負けにこだわっている間は決して本当の勝者にはなれない」

 とも私は思う。

 たとえば小説の世界で言えば、目先の賞を獲ったか獲らないかを勝ち負けとして考え、一喜一憂している間は、多分決して勝者にはなれない。その賞は、手段でしかない。自分の作品を多くの人に広げるというための手段。本当の勝者とは、自分が本当に書きたいものを書き、伝えたいと思ったことをそのまま読者に伝えられる人のこと。目先の勝ち負けにこだわることなく、自分らしさを捨てないでいられる人。人とは違う自分らしさをしっかりと見つけ、ほかの「すごい人」を意識して二番煎じになることなく、独自の道を進める人。

 そして、小説の世界に限らずに言うなら、勝者とは、周りの価値観ではなく自分自身の価値観で満足いく人生を選び、それを歩める人。

 きっとそこまでの域に到達できたら、自らを「勝者」と意識することもないのだろうけれどね。

 帰りがけ、彼女は言った。

「ピーターパンも見れるようになったら、また付き合ってね。劇にもそのあとの飲みにも」

 その日は案外早く訪れるのではないかと思いながら、私は頷き、彼女と別れた。

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