本多孝好

本多孝好「Fine Days」

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 一年以上前、知り合いに本多孝好という名前を聞いた。「結構上手いよ。書いていく上で参考になる作品だと思う」というように紹介された気がする。それからなんとなく気になっていたものの、手に取る機会もなく、すっかり忘れていた頃、他の人にまた、「この人は上手いよ」と紹介された。そんな大ブームになっている作家ではないと思うのだけれど、不思議なこともあるものだ。さすがに二度目に聞いたときには、あまりに気になったので、翌日すぐ探しに出かけた。
 
 まず読んだのはデビュー作「MISSING」。短編集。そしてすっかりはまってしまった。いやぁ、本当に上手い! しかも久しぶりに「出会ってしまった!」というタイプの作品だった(ちなみに初めての「出会ってしまった」体験は三島由紀夫の「金閣寺」、その後、三島が文学と思っていた私に、激しい衝撃を与えてくれたのが、吉本ばななの「キッチン」)。やはり、出会うべきものや人とは、どんなに遠回りがあっても出会うものなのだろう。しかも、一番効果的な時期に。
 
 本多さんは「ミステリー作家」のはずなのに、文体のせいなのか、視点のせいなのか、決して「エンターテイメント」と言い切れない独自の世界を作り上げている。ミステリーは好きだけれど、ただ「おもしろい」だけには満足できない私には、まさにぴったり。とても楽しめる種類の本だ。

 多くの人はきっと、小説を「ストーリー」で読む。でも私は違うことが多い。私が小説の価値を判断する基準は、おもしろい話だったかではなく、どれだけその人の作り出す独自の世界の空気を感じとれ、そこに心地よく浸ることができたか、にある。だから私は自分が作品を書くときも、ストーリーはあまり重要でないと思ってしまう。大切なのは、ひとつひとつのシーン。どういう場所で、どういう時間に、どういう関係の人が、どんな風に向き合うのが美しいか、それをとにかく真剣に考え、それを書くためだけに小説を書く。それは「詩」の世界に近い。でもなぜ私が「詩」ではなく「小説」を書いているかというと、その「特定の状況の美しさ」を本当に描くためには、丁寧に丁寧に言葉を重ねて、「状況」を説明し、作り出していく必要があると思うからだ。

 ただ知り合い曰く、私の今のやり方ではもう行き止まりになるしかないだろうとのことだ。そして、「別にストーリーを重視しても、やりたいと思っていることはできるのでは?」と言われた。私は決して素直な人間ではないので(?)、その人の言葉をそのままありがたく頂戴したわけでもないが、本多さんの本を読んでいると、ストーリーを重視しながらも、私のしたいことをきちんとしているその成功例のように見え、うわぁっと衝撃を受けてしまうのだ……。

 本多さんは一つのシーンを書くのに、多くの言葉を費やしている訳でもないのに、私は読みながら勝手にその世界を詳しく、しかも自分の好みの形に想像し、心地よく浸りながらそれを読んでいる。そう気づくとき、敗北感や羨望というような様々な感情がわき起こり、でも素直に「本多さんの作品、好きだー」と叫びたくなるのだ。

 とにかく、まずは「MISSING」、それから「Moment」か「Fine Days」を読んで欲しい! 長編より絶対短編集の方がいいので。是非是非、機会があったら手にとってください!

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