芸術に関する考察

群馬の「実家」と前橋文学館

久しぶりに実家に帰ってみた。

ただ、実家と言っても、今現在、両親は仕事の関係で群馬に行ってしまっているので、自分が住んだこともない家だ。そこにはもちろん、自分の部屋も、机も、ベッドもない。

小旅行気分になれていいとも言えるが、やっぱり本物の「実家」の存在が恋しくもなる。

 

ただ、家から離れ、一日だけだけれどパソコンとも離れ、普段の自分の役割からも解放され、「子供」に戻れる時間というのはいい。

最近、現実のごたごたに頭の中がずいぶんかき乱されていたのだけれど、ふっと力を抜く場所があると、正しい方向に思考が戻っていくような気がする。

夜、一人でぼんやりしていたら、なぜか次の小説の構想が膨らんできた。

 

今日は「前橋文学館」と「高崎市美術館」に行ってきた。詳細は後日書くと思うけれど、良い刺激を受けることができた。

なんていうのだろう、表現の本質というものに向き合うことができた。

 

最近、出版社系の賞を目指して作品を書くとき、「目新しさ」が必要とされているという気がして、なんだか無理して奇抜な感じを出そうと努めていたのだけれど、「新しさ」ってそういうのじゃないな、と感じた。

 

「前橋文学館」では萩原朔太郎賞を獲った詩人の特別展示が行われていた。

確かにその詩は、分かりやすい「新しさ」を持っていたし、私はそれを個人的には好きだと思えなかったのだけれど、それでも、その「新しさ」は無理して作り出した、手法のための手法、ではなく、あくまで表現のための手法だった。

そこで思ったのは、自分が本当に伝えたいことをできるだけ正確に、濃い密度で伝えようと考えたら、現存の表現方法に頼ることが生ぬるく感じられるのではないかということ。

私も、もっと、表現というものに貪欲になりたいと思った。

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