過去Diary

二次敗退

「すばる」二次は通過できませんでした(>_<)  二次通過・一次敗退・一次敗退・一次通過と、初年度を越せないのがつらい。  多分、初めはただのビギナーズラックだったのだろうけれど、書けば書くほど、努力すればするほど目標から遠ざかる感じがするのはやはり悲しいな(まぁ、それは表現という分野を選んだ宿命であり、今更そこで弱音を吐いても仕方ないのだけれどね)。    ただ、今年は伊豆とスポーツと二つの賞はもらったのだけれど、そういう外側からの評価と、自分自身の自分の作品に対する評価が離れていく感覚をしばらく味わっていた。二つの作品とも好きなものではあるのだけれど、自分自身を代表する作品として人に見せたいものかというと、少し違う……という思い。    スポーツ文学賞の授賞式で新聞記者に「これからどういう作品を書いていきたいのですか? テーマは決まっているのですか?」と聞かれ、「テーマというより、雰囲気を描いていきたい」と、ある意味いつものおきまりの台詞(私は以前からずっとそう言い続けてきた)を言ったのだけれど、受賞作ではその「雰囲気」など描いていなかった気がした。  もともと私は、ストーリーやテーマなど二の次で、とにかく自分の書きたい世界、イメージ、雰囲気を味わえる作品を書くことに主眼をおいていた。でも、大人になるにつれ、ということだろうか、少しずつそれがただの「自己満足」に思えてきて、「読者のために」ストーリーやテーマを分かりやすく描くようになっていた。  その変化は必ずしも悪いことではないだろう。そう努力することで、私の作品を「読める」人が増え、それが二つの賞の受賞につながったのだろうから。  でも、そういう作品を書いているうち、「前の作品にあったかおりさんらしさが懐かしい」とか「こういう作品はわざわざかおりさんじゃなくても書けるような気がする」というようなことを言われるようにもなった。    私は、表現者がその表現を変えていくことを悪いことだとは思わない。ミュージシャンなどが志向を変えると、それを叩き始めるファンがいるけれど、人間、変わっていくのは当然でしょ? 三十歳になったら、十代の頃みたいに純粋で真っ直ぐで、どこかぶざまな恋愛をできなくなるというのと同じようなことだ。以前と同じものを見ても、以前と同じほど胸に突き刺さってくる感覚はもう持てないし。私は、年齢相応のものを書いていきたいと思う。そのとき、そのときにしか感じられないものを、しっかり書き留めていきたいと思う。  でも、そういう自分の「変化」をしっかり認めた上で、もう一度、原点に戻ってみたいとは思うのだ。原点というのは、自分は小説で何をしたかったのか、という問いかけに対する答えになる何か。少しずつ「読者」の存在というものを感じ始めた私にはもう、以前のような完全な「自己満足」で閉じた世界は描けないだろう。でも、「読者」にしっかり提示できるだけ強い、世界観、雰囲気、イメージを紡ぐことにしばらく重点を置けたらと思う。  こんな言い方は生意気に聞こえるだろうけれど、文章を「上手い」と褒められるのは、ちょっと飽きた。「上手い」なんて言葉じゃなくて、もっと違う言葉を一番初めにかけてもらえるような作品を書きたい。  多分これからいくつか賞をもらっても、夢を叶え「すばる」とか「芥川」とかをもらっても、私は多分ずっと迷い、悩み続けると思う。自分が小説でしたいことはなにか、小説でしなくてはいけないことはなにか。でも、その迷いをなくしたら、多分自分は終わりだと思う。  野ばらさんとか、ばななさんとか、小説の書き方ではなく、もっと生きることについて深刻な悩みを抱えている人が本物の作家なのかもしれないけれど、私はそういう作家とは違うということをこの頃感じ始めてしまったので。    ああいう人たちは、どう伝えるかということを考えなくても、多分、にじみ出てしまう何かがあるのだと思う。私にはないから、甘えず、伝える意識を持たなくてはと思うのだ。

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