ようやく
一週間くらい前から
“日常”の感じに戻ってきた。
私の日常は、
基本、平和。のんびり。
voltexというよりwell being。
テンション低め。
でも静かに心の中で
「うわぁ!!!」となっている
ときもあって、
(心の中だから、多分外には
漏れ出ない(笑))
それってどういう時かというと、
「これ、美しい!」って時とか、
「何この視点!」って時とか、
「やばい、すごいことひらめいた」って時とか。
パキラを経て、
一番変わったのは、
自分の心の動きに、以前よりも
敏感になったことかな。
これは
数人の役者メンバーも
言っていた。
だから、
やりたくないなと思うことは、
できなくなったし、
でも、どうしたら心地よいところに
着地させられるかも
大分、分かるようになった。
そしてそのために
人と交渉するような力も
手に入れた気がする。
この感覚とパワーがあれば、
結構、無敵。
そして、
心地よく日常を整えつつ、
芸術家活動を楽しんでいる。
パキラの集中稽古期間は
人の作品に触れる
物理的な時間も心の余裕も
なくなっていたから、
今は、
小説を読んだり、
映画を見たり、
美術館に行ったりして、
人の作品が心に染みるなぁと
味わっている。
で、気づいたのは、
私が「うわぁ!」と
テンション上がるのは、
やっぱり言葉によってなのかもしれない、
ということ。
Contents
隈研吾展
週末は「隈健吾展」に
行ってきたのだけど、
隈さんの創る建築物よりも、
隈さんがどんな想いで
そういう設計をしているのかを
語る「言葉」に、はっとなった。
たとえば、
「僕が孔(あな)について考えるとき、
注意を払うのは、
孔が何と何をつなぐかである」
とか、
「建築は、窓によって
外とつながるのではない。
粒子を通して、
空間は生物とつながるのである」
とか。
(こういう考えがあるから、
隈さんの建築物は、
外とつながることを意識した
不思議な構造になっているのだと分かる)
道尾秀介『風神の手』
あと、今は道尾秀介さんの
『風神の手』を読んでいるのだけど、
これも最初の一文に、「うわぁ!」となって、
読み進めることを決めた。
「群れ咲く向日葵を見て、違う、と思った。」
どこにどう引っかかったのかは
分からない。
向日葵と否定が
普段は結びつかないことにか?
なんて考えることも
楽しい。
これを読んで
「わかる~」なんて言ってくれる人は
ほとんどいないだろうけど(笑)
でも、こんなところに
自分のvoltexはあり、
それを楽しむ一人時間も、
平和で、結構好き。
新作で目指す地点
そんなこんなで、
新作の構想は
まだそんなに進んでいないのだけど、
書く前にまた、
「パキラ」の時のように、
この作品がどこに行きついたら
嬉しいか、考えてみようかなと思った。
「パキラ」のときに見えたのは、
終演後、幕が下りたあとに、
キャスト達に囲まれて
「書いてくれてありがとう」と
言われるシーンだった。
で、新作について考えていたら、
そんな華々しい舞台ではなく、
オフィスみたいなところが見えた。
男の人が2,3人作業していて、
私の作品を映像化してくれていた。
(アニメーションのようにも思えた)
そしてその中の一人が、
「原作がいいから、
作り甲斐がありますよ」みたいに
言ってくれて、
「そうですよね」ともう一人が言ってくれた。
……もちろん、ただの妄想(笑)
でも、不思議に思ったんだよね。
「作品が映画化される」って
なったら、すごい嬉しいけど、
その喜びを味わうなら、普通、
映画が公開されて、
たくさんの人が見てくれている
シーンを想像するはず。
考えてみたら「パキラ」だって、
キャストに「ありがとう」と
言われるより、
カーテンコールでお客さんに
むっちゃ拍手される方が
一番の盛り上がりシーンのはず。
で、今回初めて、
「あれ? なんでキャストからの
『ありがとう』だったんだろう?」と
考えた。
で、分かった。
あくまで私が
目指しているのは
「天才たちと共同創造すること」
だからなんだ、と。
だから一緒に舞台を作った人に
「いい脚本をありがとう」と
言ってもらえたら嬉しいし、
作品が映画化されたら、
それを映像化してくれる人に
「原作が良かった」と
言ってもらえるのが、むっちゃ嬉しい。
つまり私は、
「天才」と思える人に
「天才」と思われて、
お互い褒めたたえ合いたいんだな(笑)
もうちょっと、
観客のことも考えろ、と
思わなくもないけど、
今、自分のテンションが
一番上がるのはそこだ。
ということで、
新海誠作品みたいな
アニメーション作品が
仕上がることを夢見て
新作執筆します♪
※ちなみに新海さんの作品で
好きなのは「言の葉の庭」と
「秒速5センチメートル」!