市川拓司

市川拓司「こんなにも優しい、世界の終わりかた」

久しぶりに市川さんの本を見つけ、読んでみた。

 

『いま、会いにゆきます』『そのときは彼によろしく』とか、市川ワールドは結構好きだったけれど、巷で話題にならなくなるや、私も忘れてしまっていた。

ごめんなさい💦

変わらない市川ワールド

この本は2013年のものらしく、すでに9年も経っているけれど、『いま、会いに行きます』のブームから10年くらい後の作品だろう。

変わらない市川ワールドが広がっていて、なんか安心して読めた。

 

市川さんの本には、あまり悪い人が出てこない。

出てきたとしても、ものすごい端役で、主人公はいつも不器用すぎるほどまっすぐでピュアな心を持ち、相手の女性も同じようにピュアで心が美しい。

家族や身の回りの人も大抵そうで、だから市川さんの本を読んでいると、世界が淡く優しい色で包まれたような気分になれる。

 

この本もそう。

 

世界の終わりなのに、希望がある

この本は、世界に「青い光」が降り注ぎ始め、青い光に侵された町から、人は凍りつき、「世界が終わってしまう」という話。

その「世界の終わり」は止められない。

世界の終わりを阻止すべく戦う話ではない。

 

ただどんどん青く凍りついた町が増えるなかで、主人公は愛する人に会いに、旅をする。

途中で出会った、同じように愛する人に会うために旅をする男の人と一緒に。

 

話は、その「世界の終わりに、愛する人のところまで必死に旅をする」シーンと、

まだ世界が終わる前、「主人公が愛する人と出会い、大切な時間を過ごしていた」シーンとで構成される。

 

主人公は父子家庭に育ち、貧しく、相手の女性も母子家庭で育ち、色々な制約を抱えている。

女性は母親のために別の人と結婚しようとしているし、世界が終わる前のシーンはシーンで、二人は別れに向かって進んでいる。

 

それでも、どちらのシーンにしても、悲壮感はない。

切なさはあるけれど、美しい。

 

今ここを味わう心地よさ

それはきっと、すべてが「今ここ」の話だからなのだろう。

主人公は終わりを受け入れているけれど、でも同時に今ここにある世界をきちんと味わい、慈しんでいる。

その今ここの感性による、今の描写の密度の濃さが、この作品をとても心地よいものにしている。

 

そして、世界の終わり自体も美しい。

普通、世界が終わるとなったら、暴動など起きそうだけれど、この話では、人はむしろ「一番きれいな心」を思い出し、死んで(凍りついて)いく。

食べ物は少なくなるけれど、奪い合いは起きず、むしろ人を思いやる気持ちの方が育てられていく。

人が死ぬわけでなく、青い光に包まれて、凍りつくというイメージ自体も美しい。

 

あと美しいのは、主人公が作る万華鏡や、主人公の父親が作る手の込んだカラクリ時計の描写などもそう。

夕焼けを作る万華鏡とか、想像するだけで心震える。

 

市川さんの感性、好きだな。

 

読者にページをめくらせる力について

でもちょっと気になったのは、物語を先に進める力というか、読者にページをめくらせる力が以前より弱くなったかなということ。

(それは受け取り手である私の変化かもしれないし、分からないけれど)

 

この本のあと、湊かなえさんや池井戸さんの本を読んでいたのだけれど、そういうTHEエンターテイメントの作品と比べてしまうと、この「あまりにも優しい、世界の終わりかた」は、読んでいてあまり先は気にならない。

 

だからこそ「今ここ」に浸れるのだけれど、やっぱり作品としては、「読者にページをめくらせる力」も重要な気がして、

いい作品って何だろう、と改めて考えさせられたりした。

 

でもやっぱり、自分が書きたいのはどんな作品かと考えると、湊さんや池井戸さんの方向ではなく(書こうと思っても書けないし💦)、

こういう「今ここ」を味わえる、癒しの作品なんだろうなと思う。

そんなことも再認識でき、良かった。

 

市川さんの本は、読んでいないものがまだ結構あるので、また読もう。

-市川拓司
-,

© 2024 凪 Powered by AFFINGER5