過去Diary

同じ場所:北鎌倉の明月院

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 紫陽花の咲く季節になると毎年と言っていいほど鎌倉に行く。特に北鎌倉の明月院にはカメラを始めてから、10年近く、毎年欠かさず行っているかもしれない。もうどこにどんな種類の紫陽花が植わっているか記憶してしまっているものなぁ(笑)
(あと時間があれば江ノ電の長谷駅から行く長谷寺に行ったりするのだけれど、今年は極楽寺駅のそばの成就院へ行ってみる。階段の両脇に紫陽花がずらっと並んでいていい感じだ。人がいなければ良い風景写真も撮れそう。ただやはり混雑しているので、マクロ撮影が中心になる)

 本当は色々な場所の紫陽花を開拓していくというのもいいのではと思うのだけれど、定点観測かのように毎年明月院へ行ってしまうのには多分、自分なりの理由がある。それは、その時期にその場所に行くことによって、一年前の自分、二年前の自分、三年前の自分……と何年分もの自分と出会える気がするから。

 あの時はすごくつらかったな、とか、あの頃はただ単純に一生懸命だったな、とか、忙しくて30分ぐらいで慌てて見て帰ったんだったっけなとか……色々な時期の自分を思い出す。

 六月、この夏に向かっているはずなのに、天気は優れなくて、それに影響されるように気持ちも少し滅入りがちなこの時期には、過去を振り返るという行為が似合う。まぁ、過去にひきずられても仕方ないのだけれど、これから進むべき方向、今まで自分が進んできた道を知るには、過去を振り返るしかないと思うから、きっと必要なことなんだよね。

 毎年同じように、ずっと使っている一眼レフを構え、紫陽花の写真を撮る。でも去年と同じ紫陽花を被写体に選んでも、同じ写真にはならない。心にすっと入ってくるもの、心を揺すぶるものは少しずつ変わっていく。そして心にしみるその度合いもいつも違う。

 最近思うのだけれど、美しいものとか、優れた芸術作品を一番味わえるのは、心に傷があったり、心がものすごく疲れているときなのかもしれない。

 幸せというものがものすごく遠くに感じられるとき、本当の美しさはすぐそばにある。充実した日々を過ごしているとき、心に染みる感動は遠ざかり、美しいものを見ても何も感じられない自分に焦りを感じる。

 結局私はいつだって、本当に、今その時の状況に満足しきることができないのだろう。

 ……それは淋しいことかもしれないけれど、そんな風に自分を冷めて分析するのは今の自分。多分、数年後には、そんな分析もさらに突き抜ける場所に行き着けているはず。

 そう、過去を振り返りながら、未来の自分も見ている。

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