日記的なもの

思春期・反抗期

中1の生徒が、今日は「なんか私、反抗期になったみたい」と言っていた。

えっ、反抗期って自分で自覚するものなのか? と思ったけれど、彼女曰く、「最近やたら苛々するから反抗期に違いない」のだそうだ。

彼女の言い方はちょっと笑えてしまうのだけれど、本人は大まじめなので、多分、笑ってはいけないところなのだろう。

 

子供と大人のあいだ

彼女は中1の割に背が高く、160センチくらいあるし、小さな頃から大人に混ざってバレエ(バレーボールじゃなくて踊りの方)をしているということで、年齢より大人びて見え、考え方もしっかりしている。

でも今日は、学校の友達がうっとうしくて嫌になってきたという話をずっとしていた。その内容は、大人から見ると些細なことで、あぁ、彼女もまだ中1なんだよなぁということを感じさせた。

ただそれでもやはりどこか自分を冷静に見ているところがあって、それが「私は今、反抗期に違いない」とか、「私の愚痴を聞いてくれるなんて、先生も優しいねぇ」なんていうちょっと笑える言葉になったりする。

 

「周りの子は子供すぎて合わない」とも言っていたが、それはただ単に彼女がわがままだというわけではないだろうという気がした。

でも、周りの子供の子供さ加減を笑って流せるほどには、彼女はまだ大人になれていない。中途半端なところにいる鬱陶しさややりきれなさが、なんだか少し分かった。

 

痛みには出口がある

私自身、自分の過去を振り返ってみたとき、一番つらかったのは小学校の低学年から中学生の頃だ。友達関係で消耗しきってしまっていた。

いつでも死んでいいとさえ思っていた。友達に「私が生きているのは、死ぬのが怖いからだけ」と言って、引かれた記憶がある。

 

私はもう大人になったから、それなりに生きる術も身につけ、以前ほど生きることが苦しいとは思わなくなった。

ただ今でも閉じられた「学校」という場所で生活することはできることならしたくない。そして、小学生や中学生の頃になど決して戻りたくないと思う。

 

そんなふうに思っている自分が、彼女に伝えられることは何なのだろう。伝えるべきことはどんな言葉なのだろう。考えるとよく分からなくなる。

だからただ、伝えたいと思ったことをそのまま伝える。

「先生も小学校の高学年から中学の頃が一番つらかったよ。でも、高校生、大学生になって、大人になると、人とのつきあい方も上手くなってくる。大人になったら、中学の頃みたいに嫌いな人とべったりくっついて生活しなくちゃいけないこともないし、お互い合わない人とは距離を置くことを覚えるから」

 

十三歳の子供に言うことなのかは分からない。思春期には「今、そのとき」だけに集中して生きるべきだという大人もいるかもしれない。

でも、「今」苦しんでいる人がいたら、「もう少し我慢したら楽になるから」と言ってあげてもいいんじゃないかと、私は思う。

 

ちょっと大人びた彼女は、中学の頃が一番つらかったという私の言葉に、

「先生、私が今中学生だから、慰めようとしてそう言ってくれているんじゃない?」

と返してくれた。

大学生のころ受け持った中学生の女の子も、毎週毎週、悩みや愚痴を打ち明け続けていた。勉強がほとんど進まないほど……。

でも彼女は大学生になったとき、「今はやりたいことがたくさんある」ととても希望に満ちた手紙をくれた。

 

きっと「思春期」のつらさは誰もが通る道。そのつらさは大人になればいつのまにか消えていく。そんな時期が自分にあったことを思い出すこともないくらいに。

結局私が彼女にできることは、その痛みには出口があるということを教えることくらいだろうか。

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