洋画(米)

映画「ザリガニの鳴くところ」

海外の大ベストセラー小説の映画化。

日本でも「本屋大賞」の翻訳小説部門1位を受賞していて、書店に平積みされているのをよく見た。

かなり分厚い本だったから、翻訳小説が苦手なのもあり、私は敬遠していたけれど……。

でも、映画を見て、原作が読みたくなった。

 

ミステリーで「も」ある

「ザリガニの鳴くところ」は映画版は「ミステリー」という部分を強調して宣伝しているように思える。

確かに、話は男性の死体が湿地帯で見つかるということころから始まり、湿地帯で暮らす娘に疑いが掛けられ、裁判にかけられるというのが表向きの主導線。

そして、それがラストの驚きも産み、「ミステリー」としても、上手いなと思う。

 

ただ、この話の本質はそこではない気がする。

だからこそ、すごいなと思う。

映画を最後まで見たあとに効いてくる台詞がいくつもある。

特に主人公が「生物界」の法則みたいなものについて語る言葉が重い。

 

というのは、この映画の主人公は湿地帯に暮らす少女。

歩いて行ける距離に「町」があり、学校もあるのだけれど、少女だけは社会から遠く隔てられたかのような原始的な生活をしている。

元々は家族で住んでいたが、DVを振るう父親のせいで母親、兄弟と次々家から逃げていき、最後には父親もいなくなり、一人になってしまった。

一度だけ学校に行くも、裸足で「不潔」な主人公は嘲りの対象になり、いたたまれなくなりすぐに逃げ出す。

少女を支えてくれるのは、「町」で小さな商店を営む黒人夫婦のみ。

 

ただ少女は孤独で貧しいけれど、不幸ではない。

それは湿地の自然が彼女を包み込んでいるから。

それが「センス・オブ・ワンダー」の世界を思い出す、鮮やかな生の営みで、美しい。

彼女は湿地に落ちている羽根を拾い集め、貝を拾い、それを精密な絵に仕上げていく。

自然に対する少女の姿勢に、説明の言葉は少ない。

でも、たまに少女が口にする言葉に、彼女が自然から学んだことの深さが感じ取れる。

 

映画の構成

映画は「死体が見つかり、少女が拘留され、裁判にかけられる」というところから始まる。

裁判がそのまま続くのだけれど、裁判のシーンのあいだにそれまでの少女の生きてきた人生が挿入されていく形。

裁判が「現在」でそれ以外が「過去」とすると、この映画の8割は「過去」になるような構成。

小説では「回想シーンを多用しない」とか言われるけれど(別にそれを真に受ける必要もないけど)、映画ではこういう構成、多いようにも感じる。

少なくともこの映画では、この構成が非常に活きている。

 

人物描写が物語全体の説得力を増している

この映画は決して饒舌ではない。

でも、主要な人物の描写がとてもうまい。一人ひとりの存在に説得力があるというか。

その人物描写が物語を支えている。

 

最初に死体で発見された男性も、非常に巧みに描写されていると思う。

とても嫌な奴だと思うけれど、でも本人は100%嘘を言っているつもりはない。

彼の中で彼女への愛は嘘ではなかったと思う。

それが証拠に、少女からもらった首飾りを最期までつけていた。

薄っぺらい作品だったら、こういう人物はただの「嘘の人」と書かれるだろうけれど、そうではないという描き方に深みを感じた。

そして少女のその男に対する見方も、決して薄っぺらい型にはまったものではなかったのではないか、という。

 

長編小説を映画にしたものは、なんとなく物足りなく感じられたりするけれど、これは映画を見るだけで「行間」を感じられ、きっともっと書き込まれているであろう小説が読みたくなった。

翻訳ものだから、文章のリズムが自分に合うかで読めるかどうかも決まりそうだけど、今度手に取ってみよう。

ディーリア オーエンズ 
『ザリガニの鳴くところ』

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