小説

『その影を』 プロローグ

※久しぶりに「凪」サイト上で、新作小説の公開を再開しようと思います。

「結局私があの頃見ていたのは、光だったのだろうか、影だったのだろうか。太陽だったのだろうか、月だったのだろうか」

建築事務所を舞台にした少し切ない「謎解き」と踏み出すそれぞれの一歩。

 

プロローグ

 いつ来ても美しい場所だと思う。

 大きなガラス越しに広がる公園の木々と芝生の広場。木材を菱形の格子状に組んだ天井。深い安らぎを感じさせる濃い茶色の木材を多用した店内。

 サイズの違う二種類のホールを抱える三階建ての建物。その一階にあるカフェスペースに私はいる。

 今日は運よく、店の一番端のソファー席に座れた。平日の午前中だからか、人は多くない。私は窓の向こうに見える公園の広場を元気に駆け回る子供たちと心の距離を取るように、少し目をつむる。

 店内に染みついているコーヒーの香りと、静かに流れるジャズの音だけが私のなかに入ってくる。そして閉じていても瞼の向こうには太陽の光を感じる。今日はとても良い天気だ。夜に肌寒さを感じる日も増えてきたけれど、太陽の力は偉大だ。気温が多少下がっても、快晴の日はまだコートなど羽織る必要もない。

 今日は善場先生の命日だった。あれからもう三年が経つ。

 墓参りに行く代わりに、私はここへ来たいと思った。

 善場喜一郎設計事務所の最後の仕事となったこのホールは、きっといつまでも私の中で特別だ。

 コーヒーカップを両手で包み込み、ふぅっと大きく息をついてから、目を開ける。

 実際の建物になり、店が入り、人が働き始め、お客さんが来始め、コーヒーや食事が提供され始める……そうするともう、まるで別物だ。それでも、私の心の中にはまだ、あの頃一生懸命に作っていたこの場所の模型のイメージがある。

 白一色で作られた模型。室内の弱い光に弱い影を落とした。

 模型を作りながら、仕上がった模型を見ながら、想像のなかで何度も通った場所に、実際に私はいる。その不思議さ。

「先生、私もやっと今年、一級建築士試験に合格しましたよ」

 心の中で善場先生に報告する。「がんばりましたね」そんな静かな声が返ってきた気がする。

 今はまだ自分の未来は分からない。でも将来、自分で建築事務所を立ち上げる日が来ても、きっと善場喜一郎設計事務所にいた日々は、私の宝物であり続けるだろう。

 格子状の庇に姿を隠し始めた太陽を見ながら思う。

 結局私があの頃見ていたのは、光だったのだろうか、影だったのだろうか。太陽だったのだろうか、月だったのだろうか、と。

 これは三年間私が自分に投げかけ続けてきた問いだった。

 

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