「その影を」

その影を 3-1

※毎週火・金更新

※この作品は「プロローグ」から始まっています。

 

 翌日、私の気分とは裏腹に天気はとても良かった。朝晩の風は冷たいけれど、その分、日の光の温かさが体に染みわたる季節。まだところどころ残る紅葉の赤い葉を光が透過し、澄んだ光を街にまき散らす。

 大きな神社の脇を通る、最寄り駅までの道を歩きながら、私は以前事務所のみんなと見に行った、“善場先生作”の教会を思い出していた。その教会は長崎の島にあり、そこまで大きなものではなかった。

 外から見るその教会は、神聖さより身近さを感じさせる、温かいものだった。ヨーロッパの有名な教会は直線的で鋭角的で、すっと高さのある印象だけれど、善場先生の設計した教会は、丸みを帯びた柔らかいデザインで、下の方は土の色に近いコンクリートで作られていた。その教会に入るときは、昔の人の家にお邪魔するような、懐かしさと、包まれる感じがした。

 でも一歩中に入ると、教会の上部には大きなステンドガラスが設置されていて、それが豊富な光を取り込み、無数の色鮮やかな影を教会内部に落としていた。

 その外部と内部の世界の隔たりに、違う時空に迷い込んだような感覚さえあり、腕に鳥肌が立つほどだった。

「……すごい」

 西川さんはカトリック系の中学、高校に通っていたらしいが、それ以外特にキリスト教信仰のないメンバーだった。それでも私たちはその世界の神聖さに言葉を失い、最初に桜井が“すごい”と言うまで、多分五分くらい掛ったはずだ。

「すごいよな」

 私たちの少し後ろをついてきていた黒川先生が言った。あの旅は一応、善場喜一郎設計事務所の社員旅行という形だった。もちろん参加は有志のみで、善場先生はいなかった。

「建築の力もすごいけれど、ステンドグラスとか、そういう芸術の力というのも、本当にすごいなと思う」

 黒川先生はそう言って、しばらく、天使たちが楽し気に舞うステンドグラスと、そこから落ちてくる美しい光と影に魅入っていた。

 私もステンドグラスを美しいとは思ったけれど、それ以上に、この窓からの光を計算した善場先生のセンスとか、外観と内部の感覚の違いを計算して作ったのであろう善場先生の設計の意図に衝撃を受けていた。

「長崎はやっぱり隠れキリシタンの歴史があるから……そういう歴史も考えての、このデザインなのかな」

 西川さんも教会の世界観に圧倒されていた。

「やっぱり善場先生はすごいな」

 桜井も言った。

 ……あれは二年ほど前のことだ。あのとき……黒川先生は私たちの言葉に何か反応を示していただろうか。黒川先生は、教会のなかで、自分の作品を見るようにしていただろうか。それとも、あくまで善場先生の作品を称えるスタンスだっただろうか。

 思い出そうとするけれど、分からなかった。

 考えごとをしているうちに、駅につき、そして事務所に着いた。

 

 

「急には信じられないな」

 黒川先生のパソコンの前に西川さん、佐山さん、小池くんを呼び、桜井が昨日の“発見”について伝えると、みんな状況がすぐには捉えられないような、複雑な表情を見せた。

「学校とか教会とかホールとか……そういう仕事は、黒川先生が設計段階で手を加えることはあっても……ゼロからイチを作り出すところは、善場先生がしているものだと思っていた」

 一階と二階の仕事は違うんだと昨日断言していた西川さんの顔にも戸惑いが見える。

「まぁ、個人邸の仕事は、表向き“善場喜一郎デザインの家をベースに、あなたのご希望に合わせてカスタマイズ”ということになってはいるけれど……大抵、お客さんの要望を聞いていったら、もはやベースも何もない、オリジナルな家になる、ということが多いけどさ……。ということは、結局、黒川先生が毎日していたのも、ゼロからイチを作り出すような仕事だったとも言えるけど……でも……」

 考えれば考えるほど、混乱の渦に足を取られていくような時間がしばらく続いた。

 私たちは善場先生とは本当に接点が少なかったから、善場先生のことを正確に理解できていなかったとしても、それは仕方ないと思えた。でも、すぐ側で一緒に働いていたはずの黒川先生のことを何も分かっていなかったということが、ショックだった。

「考えたこともなかったな、そんなこと」

 佐山さんが呟くように言った言葉が、多分ここにいるみんなの総意だったはずだ。そして、佐山さんの言葉のあとは、しばらく事務所内を重い沈黙が覆った。

「言ってくれれば良かったのに」

 みんなの沈黙に耐えきれなくなったかのように小池くんが口を開いた。

「何を、誰に?」

 西川さんが尖った声で訊いた。

 小池くんの気持ちも、西川さんの気持ちも分かった。

 黒川先生に、そんなに全部抱え込まないでもらいたかった。でも、私たちにその秘密を共有できるだけの力はなかった。少なくとも、そう思われていた。そこまで分かるから、私たちはもどかしくて、歯がゆくて、悔しくて、腹立たしかった。

「分からないですけど」

 小池くんは西川さんの強い言葉に一瞬ひるんだが、それでも気持ちを立て直し、また口を開いた。

「どうして、黒川先生と善場先生が、そんな偽の役割分担を演じることを選んだのかとか、どうしてそれを事務所のメンバーにまで隠さなくちゃいけなかったのかとか、何も僕には分からないですけど」

 そこで小池くんは一度言葉を切り、ぐっと腹に力を入れて、また話し始めた。

「でも……僕たちだって、プロですよ。半人前かもしれないけれど、一級の資格は持っていないかもしれないけれど、プロとして、この事務所のメンバーとして、誇りを持って働いているじゃないですか。……僕たちに何もできないなんて、そんなはずないですよ」

 その言葉を“きれいごとだ”と言えるほどの割り切りも、私たちにはなかった。

「そうだな。……今までのことは置いておいて、これからのことを考えた場合、俺たちができることをしていくしかない」

 弟の助太刀をする兄のように桜井が言った。

 私たちは、それぞれの想いを胸に残しながら、頷いた。

 それでとりあえずこの話は一段落した、という感じだった。でも、小池くんがまた言った。

「でも、これって、希望ですよね」

「え? どうして?」

 思わず、私は訊いた。西川さんと同じように尖った口調になっていたかもしれない。でも、小池くんはひるまなかった。

「え、だって、黒川先生がいれば、これからも善場喜一郎設計事務所の仕事は回せるっていうことなんじゃないですか?」

 その言葉に、誰もすぐには反応を示せなかった。

「まぁ……それはそうなんだけど」

 私の中途半端な言葉を継いでくれる人はいなかった。

 黒川先生が必要としているのが、独創的な建築デザインができる天才建築家なのだったら、どこかに見つかる可能性はある。でも……自分の才能も時間も労力も、すべてを捧げてでも仕えたい人なのだったら……。

「でも、そうだよ、希望もある。そこを見よう」

 場の空気を変えようと、西川さんが精一杯明るい声を作って、言った。

「少なくともホールのデザイン案は三つもある。まずはこの仕事をやり遂げること。……私たちの目標がそこにあることは変わりない」

「そうですね」

 桜井が同意し、私も頷いた。

 たとえその仕事を完了した先が、何の足場もない崖の先端だったとしても、私たちは進むしかなかった。

 

 ホールのデザイン案を提出する日が二週間後に迫っていた。

 善場先生が亡くなったあと、佐山さんがホールの依頼主である市に連絡し、善場先生が亡くなっても、ホールの仕事は善場喜一郎設計事務所で続けられるのかを確認していた。

 市の担当者は“前例がないことなので”と返事を留保したが、そのあと“基本的には引き続きお願いしたい”と言い、“デザイン案を提出頂く時点で、新しい代表の方にお越し頂き、今後のことがスムーズに進むよう、お打ち合わせをお願いしたい”と続けそうだ。

「きっとそこで、善場喜一郎設計事務所が、ホール完成まできちんと存続し続けられる組織か見極めようとするんだろうね」

 そう佐山さんは言っていた。

 つまり“あと二週間”とは、デザイン案の締め切りであり、黒川先生を“社会復帰”させるリミットでもあった。

 黒川先生のパソコンを開き、ホールのデザイン案を見つけたあとの私たちは、「このデザインがいい」「いや、こっちのほうが」「このデザインのここと、こっちのデザインのここを組み合わせるといいんじゃない?」などデザインについて意見を交わしたが、基本的には黒川先生が描いた三つのデザイン案をそのまま出すつもりでいた。

 ただ、デザイン案を提出するだけだとしても、デザインの意図や、実際に建築物にする際の現実的な制約や問題点など、相手に伝えなくてはいけないことも多かった。後者は建築士の資格を持つ私たちである程度まとめられるとしても、黒川先生のデザインの意図を正確に言葉にするのは難しかった。

 つまり、やはり二週間後までに黒川先生にまずこの事務所に来てもらい、打ち合わせの日には以前の“仕事のできる”黒川先生に戻って、同席してもらわなくてはいけなかった。

「一からホールの設計を考えろと言われるより、そっちの方が難易度が高いよね」

 独創的な設計をするのは自分には無理だと話していた西川さんが、手のひらを返したように、そんなことを言う。でも、西川さんの言葉を誰も否定はできなかった。

 

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