先日、京都までヨガのクラスを受けに行ってきた。
前々回、ぬんさんのヨガ合宿(in高野山)に参加したという記事を書いたけれど、
今回はぬんさんの師匠であるコロンビア人のアンドレ・ラム先生の講座を受けに。
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アンドレ・ラム先生って?
アンドレ先生は、ダーマミトラ先生の愛弟子として8年間一緒に講座などをしていたすごい人!
……らしいけれど、私はあまりヨガ業界に詳しくないので、「ダーマミトラ先生って……誰?」というレベル💦
でも、ぬんさんが自身のYouTubeチャンネルでアンドレ先生の講座を2回紹介していたのだけれど
それを聞いて「ぜひ、生で会ってみたい!!」と思ってしまい、行ってきた。
今もそのYouTubeは無料で誰でも聞けるので、興味あったら是非!
ただエネルギーを感じる時間
アンドレ先生のヨガは、ただただ「エネルギー」だった。
10時~16時半まで(昼休憩1時間くらい)だったのだけれど、午前中はレクチャーとヨガらしいヨガもしたものの、
昼休憩後は非常に不思議な時間だった。
上のYouTubeの2回目でも「プラナ・ニドラー」が紹介されていて、
私はこの実践が好きで、何度も繰り返し聞いているのだけれど、
午後のクラスは、このプラナ・ニドラーと瞑想だけで2時間、みたいな感じだった。
プラナ・ニドラーとは、仰向けに寝たまま、意識の中で呼吸やエネルギーを動かし、自分の体を浄化したり、癒したりするもので、
コツを掴んだら、誰かの誘導がなくても、一人でできる。
一人でやっていると、疲れているときには長いお昼寝になっちゃうかもだけど、
正しくエネルギーを流せれば、身体は自然と治り、元気になっていくものだから、プラナ・ニドラーは誰しも身に着けると良いスキルだと思う。
実際のクラスでは、そのプラナ・ニドラーの休息中に、アンドレ先生が「マントラ(ヴァイブレーション)でトリートメントをする」と言っていて、
最初は何のことか?と思ったけれど、本当不思議な体験だった。
マントラと言っても、ほとんど言葉になっていないようなただの音で、確かにヴァイブレーション。
お経のようでもあった。
私たちはただ仰向けに寝転がりながら、目を閉じて、その音を聞いているだけなのだけれど、
アンドレ先生の声量もエネルギーもすごくて、このヴァイブレーションで軽い脳梗塞とか溶かされちゃうんじゃないか、みたいに感じた。
そして、長いプラナ・ニドラーの後に瞑想。
最初だけ誘導があるけれど、そのあとは長い沈黙の時間。
でも長時間のプラナ・ニドラーが効いたのか、驚くほど何の思考も湧かない。
最初の誘導で、「両肩と太陽神経叢の三角、両膝と骨盤底の三角……」など色々な三角をイメージしたからか、
真っ白な砂漠のようなところに、無機質な三角のオブジェが転がっているシーンだけがずっと頭の中に広がっていた。
終わった後、足がちょっと痛くなっていたから、多分三十分以上座っていたと思うのだけれど、
ただただ静かな時間だった。
そして、つながったという感覚があったわけでも、悲しかったり嬉しかったり感情が湧いたわけでもないのに、
ただ自然と涙が奥から奥から出てくる感じだった。
私は人混みが苦手だから、あまりライブとか行かないけれど、
ライブとかコンサートとか、オペラとか行く人は、こういうエネルギーを浴びに行くんだなぁと理解できてしまうほど、
理屈じゃなく、エネルギーだった。
マインドを静めれば、つながる
アンドレ先生も、「マインドを静めれば、つながれる」という話をしていた。
アンドレ先生は訛りのある英語で話し、それを日本人のヨガの先生が通訳してくれる形なので、
アンドレ先生が何と繋がれると言っていたのか、正確には分からなかったのだけれど、
エイブラハムのいう「ソースエネルギー」、そのほか「大いなるもの」「神」……と言われるものだろう。
結局、本当、ヨガでもスピリチュアルでも、宗教でも(堕落していない真の)、辿り着くところ、目指すべきところは同じなんだなと思う。
私はもう、これを信じているし、ある段階までは体験しているから、疑うこともない。
でも、今回改めて思ったのは、「つながりが深くなればなるほど、エネルギーは強大になるのだろう」ということだった。
そして、どうせヨガや瞑想の実践を積むなら、そこを目指すべきだなと。
そう強く思うくらい、実際に会ったアンドレ先生の発するエネルギー量は半端なかった。
エネルギーの発現方法は人それぞれ
今回、本当アンドレ先生のクラスを生で受けられて良かったなと思うし、
6月にぬんさんの合宿に行けたのもとても良かった。
ただ、ぬんさんはアンドレ先生を「師」と呼ぶけれど、
2人のヨガのスタイルは大分違う。
アンドレ先生はその場、その場のインスピレーションで、色々組み立てていくけれど、
ぬんさんはそれを丁寧にメモでもして、私たちにかみ砕いて教えてくれている感じ。
(実際メモしているかは知らない……)
さらにアンドレ先生のプラナ・ニドラーをぬんさんもしているのだけれど、
ぬんさんは基本、すごい癒し系で、ほわぁっとした人なので、
やっていることは同じなのに、受ける印象は大きく違う。
だから私は同じプラナ・ニドラーでも、
夜、これからぐっすり眠りたいというときは、ぬんさんのプラナ・ニドラーを聞いて、
昼間、疲れてきたけどもっとひと頑張り!というときは、アンドレ先生のプラナ・ニドラーを聞く(笑)
そんなだから、今回のクラスの参加者にも、
「ぬんさんはアンドレ先生を師匠と言うけれど、師弟の感じがしない」と言っている人がいた。
でもその言葉を聞いて、逆に思った。
つながって、エネルギーが自分の中に満ちると、その人それぞれの本来のものが開花するんだな、と。
だから私は、ヨガや瞑想の実践を積み、もっとマインドを静め、つながり、エネルギーを自由に使えるようになりたい!と思うけれど、
だからといって、エネルギッシュなマントラを唱えられるようになるわけじゃないと思う。
でも私は、より人の心に届く、作品が作れるようになると思うんだ。
そんなことも感じたクラスだった。
翌日は京都散策
今回、せっかく京都まで行ったので、翌日は一日京都散策することにする。
京都は大好きで、20代・30代の頃はほぼ毎年紅葉の季節に一人旅をした。
でも、あまりに人が増えすぎたのと(繰り返すけど、人混み嫌い)、最近は高野山にはまったのとで、
京都にはほとんど行かなくなってしまっていた。
だから、10年ぶりくらいの京都。
でも、結局観光地には平等院しか行かず、ひたすら川べりを歩いた(笑)
宇治川・賀茂川・鴨川……と。
35,000歩というなかなかの記録!

実は去年の冬から今年の春にかけて、京都を舞台にした小説を書いていて、
取材に行きたいな~と思いながらも、スケジュール合わず諦めた。
その小説はすでに文学賞に投稿していて、だから今更取材でもなかったのだけれど、
もし受賞したら、出版前に手直しするとき役立つだろうし、
落ちたら、他の賞に送るためにブラッシュアップする際に役立つだろう、と思って、回った。
賞は結果出ていないけれど、だからこそ「賞とって、映画化♪」みたいな夢も見られるわけで、
「これが本当に映画化されたら、聖地巡礼ってやつね」なんて思いながら、
主人公たちのことを思い、その世界に浸り、しあわせな時間だった。
自分の書いた作品の「聖地巡礼」には、「おぉっ、イメージ通りの〇〇がある!」というワクワク感や、楽しみもあり、
むちゃくちゃ疲れたけれど、良い時間だった。
そして千葉に帰り翌々日、なんとその賞の最終選考に残ったという封書が届いた。
しかもその手紙の日付は、私が京都を歩いていた日。
ちょっと運命的なものを感じてしまった。
ということで、非常に充実した2日間の京都旅でした。
こんな時間を持てることに、感謝。