Well Beingの実践

余白を味わう

引き続きの投稿。

さっき『線は、僕を描く』の感想を書くなかで、映画は余白が良かったと書いた。

 

最近、作品においても、日常生活においても、余白って大事だなと思う。

 

たとえばAmazon Prime Videoだと、テレビドラマと映画が同じように存在していて(良く見ればジャンル分けされているけれど)、どちらも家で気軽に見られるのだけれど、テレビドラマのシリーズをしばらく見てから、久しぶりに映画を見ると、時間の感覚が全然違うなと驚く。

 

ま、ハリウッド映画とかディズニー映画だと違うのだろうけれど、私が見る「人間ドラマ」系の邦画は、静か~に始まり、沈黙とか余韻とかを大事に創られているものが多くて、見ている私の呼吸の速度まで変わりそうな気がする。

 

やっぱりテレビドラマは、周りに誘惑がたくさんあるなかで、意識を他に向けさせないように「ぎゅっと引っ張っていく」感じに創らないといけないのだろう。

でも、ずっと引っ張られていると、ちょっと疲れてしまう。

 

だからやっぱり、余白とか余韻とか、大事だなと思う。

 

家の中にも余白

2週間前にブログで、暇さえあれば家の片づけをしていると書いたけれど、ようやくそれも一段落してきた。

 

色々なところを整理していて、気づいたことがある。

結局、家の片付けの最終ゴールは、「住む人が小さなストレスをできるだけ感じずにすむようにする」ことなんじゃないか、と。

 

たとえば、毎日読んでいる本があるなら、その本はギツギツの本棚ではなく、すっと取り出せる余裕のある棚に置いておきたい、とか、

頻繁に洗って、しまわないといけないタオルは、上に余裕があり、すっと置ける棚に配置しておきたい、とか。

良く開ける引き出しは、できるだけ余計なものがなく、すっきり整っているように見えたら気持ちいい、とか。

 

以前読んだ本にも書いてあった。

裕福な人の家には余裕が多い。

だから物はしまえる場所の六割くらいまで減らすのが理想、と。

 

頭では分かる。

でも、現実的には無理。

そんな余裕が持てるほど広い家に住んでるわけじゃないし💦

 

でも、片付けしていて分かった。

人は良く使うところほど物をたくさん置いてしまうけれど、

心地よく暮らすためには、よく使うところほど余白を残しておくべきなのだ、と。

逆を言うと、椅子に乗らないと手が届かない棚などには、ギツギツに物が入っていても良いと割り切る(笑)

その方が、普段の暮らしが、心地よくなる。

 

捨てるのは、良いものを入れるため?

スピリチュアル界では、「捨てれば入ってくるから、捨てろ」みたいなことを良くいう。

余白がないと、良いものが近くまで来ても、入らないよ、と。

 

ま、それもそうなのだろう。

 

私も以前は、「良いものが来る余地」のために、余白を作ろうとしていたように思う。

 

でもこの歳になって思った。

良いものが来たら、それを入れてもいいけれど、

そもそも、今あるこの余白、余地は、余裕であり、それ自体が心地よいものなんじゃないか、と。

 

余白を味わえる人が、余裕のある、真の大人な感じがする(笑)

 

古い日本家屋の、家具の少ないがらんとした空間や、

雲だけしかないどこまでも広がる空のような、

心地よい余白も大切にしながら、生きていきましょ。

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