森美術館で開催されている「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」に行ってきた。
現代美術は、本や映画より自分の感性に刺激を与えてくれることが多く、定期的に見に行くようにしている。
……のだけれど、今年はあまり行けなかったな。
ということで、久しぶりの森美術館。
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森美術館の展示は攻めている
森美術館の展示は、基本、攻めていると思う。
色々な作家の作品をちょっとずつ展示する企画展もあるけれど、一人の作家の特集的展示は特に攻めている。
だから、刺激にもなるのだけれど、ものすごく精神的に疲れることも💦
現代美術は心が元気なときに行かないと、やられる。
塩田千春展に行ったときもやられたけれど、今回はそれ以上だったな。
「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」という言葉に惑わされてはいけない。
病んだエネルギーの強烈な渦
なんというか、一言でいうと、病んだエネルギーが強烈なパワーで渦巻いている💧
母親の愛を信じられず、いつも捨てられる不安に苛まれていた、とか、
父親の浮気現場を見てしまったことがトラウマになったとか、
気持ちは分からなくもないけれど、それを99歳で亡くなるまでずっと引きずるって……どうなの?!
世界観がしんどすぎた。
(※あくまで私の個人的感想)
でも、負のエネルギーであっても、これだけ強烈に発せられるって、きっとすごいんだろうな。
普通、大人になったら、「幼少期の親との関係のトラウマなんて、もう〇年も前のことじゃない」と自分に言い聞かせて、本当は消化できていないのに、終わったことにしたり、
終わったことにはできなくても、自分のなかだけに隠しておくものだと思う。
でもそれを、徹底的に見つめ、外に表現し続けたことが、才能なんだろう。
これだけ負の感情を抱えていたら、大病とかして早くに亡くなりそうなのに、99歳まで生きるって……ある意味で、彼女の内側は健全だったのかもしれない。
(30歳くらいの頃、母親が亡くなった後に自殺を図ろうとし、父親に止められたらしいが)
「風の時代」の今は、口当たりの良いハッピーエンドの物語とか、表面的な明るさが溢れているけれど、「表現って、それだけでいいの?」と痛切に問われたようにも感じた。
そして、繰り返すけれど……疲れた……💦
作品たち
最初の部屋。
文字が上に向かって流れているので、作品を見ている自分は床ごと下にずっと降りていっているような奇妙な感覚を覚える。
展示されているのは、人の体のパーツを表現したオブジェたち。
ひとつひとつじっと見ると、夢に出てきそうな怖さがある。
六本木ヒルズに飾られている蜘蛛の仲間。
蜘蛛はブルジョワにとって母親の象徴だったそうで、似たような作品がいくつもあるらしい。
薄暗いなかスマホで撮ったので写真はいまいちだけれど、本物はもっとすごくシャープ。
子供時代の、閉じ込められ、自省を促されている窮屈さを表現しているそう。
なんだか可哀そうに感じる。
森美術館の展示室には一か所、さすが53階! という風景が広がるところがある。
でも、美しい風景を背景にしながらも、作品は痛々しい。
これはヒステリーでのけぞる男性のイメージだそう。ちなみに頭はない。
晩年の作品。
まだ松葉づえはついているけれど、少女を思わせる木には実がなり、鳥が巣を作っている。
ちょっとだけ希望の光が見えるような気もする。
……と、今は正直、共感できる部分があまりなかったのだけれど、
大学時代に見ていたら、結構刺さっただろうな、とも感じた。
私はブルジョワ作品を理解するには、”成長”しすぎたのかもしれない。
今回の作品の半分くらいはブルジョワさんが私の年齢以上になってから作ったものかもしれないけど……(なんといっても99歳まで生き、90代でも作品を創っているからね)。
人の成長は速度も方向もそれぞれだ。
最近、作品の感想は「良かった!」というものしか載せていないけれど、今の自分が感じた素直な気持ちを残しておこうかと思って、記録。
そうやって、口当たり良いものばかりじゃないことを外に出そうと思ったのは、ブルジョワさんの影響と言えるのかもしれない。