美術

江成常夫写真展「原色の夢」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

 最近また少し、写真熱が復活しつつある。昨日は久しぶりに一眼レフを持って出掛けた。コスモスを撮りに。ファインダー越しに光を感じるときはなんだか幸せ。普段は意識しないけれど、刻一刻角度を変える太陽の光には、刻一刻と変わる色と雰囲気がある。同じ花でも、曇り空のもと、真昼の光のもと、夕方の光のもとでは全く違う表情を見せる。私はやっぱり、落ちてきている柔らかい光に照らされた風景が好き。特にコスモスにはそういう黄がかった光が似合う。桜やあじさいなんかだとまた違うと思うけれどね。一年のうちの秋は、一日のうちの夕方に近いということだろうか。
 
 このタイトルにある写真展は、先週見に行った。小説の「うまさ」は多少分かるつもりだけれど、写真の「うまさ」が私にはよく分からない。ただ、緻密に計算された写真を「うまい」写真というのなら、この人の写真は、「うまい」という言葉の範疇には入らないかもしれない。もっといい意味で、感覚的なのだ。
 
 だから、もしかしたら、「分からない」と思う人にはさっぱり分からないかもしれない。でも、一度ふっと理屈でなく分かってしまうと、ぐっと引きこまれる。そういう作品、大好き。誰にもこびない、ただ自分がそこに存在するということだけをまっすぐ表現するような写真。
 
 いい写真って、見ていると、まるで自分がその場所に立ち、その視点でものを見つめているような気がしてしまう……そんなものだと思う。
 
 江成さんの写真は、なぜかとても痛い。頭で考えつくり上げられた痛さではないのだけれど、なぜかそのものに、そんな角度で目を向けるということは、心が痛いのだろうと、見ている方も感覚的に分かってしまう……そんな痛さ。

 私はこのカメラマンのことを今回初めて知ったが、どうやら病気で死を宣告されるような立場にいたらしい。そういわれるとその痛さにも納得がいく。今、この目の前にあるなんでもない光景こそが、自分の生きた証であると、そんなせっぱ詰まった感情を抱いていたのだろう。
 
 土の上に落ちたたくさんの花びらの残骸。フィルムの整理をしているちょうどその最中のように散らかった机の上。なんでもない部屋の片隅。……ただ、花びらの残骸さえ、美しい。決してそれを悲しく汚いものと切り捨てて写していない。その優しさ、温かい視線に、思わず引きこまれる。

 この写真展は、エプソンのギャラリーで開かれていたもので、写真を修整しプリンターで出力したらしい。だから、色調が少し奇妙なのだけれど、この人の写真でそういう「加工」をしても、奇をてらったいやらしさがでないから不思議だ。そのどこか違和感を覚える色調が上手い具合に、作者の意図とマッチしている。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る