過去Diary

記憶の塗り替え

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 先日、小学校時代の友達と会ってきた。同窓会というのではなく、仲のいい女の子5人だけの集まり。気心の知れた仲だから、みんな地を出して騒ぎ、笑い続けていた。その中の友達に言わせると、私はかなり「おかしい」人らしい(^^;) 

 本当の自分を見せられる状況でだけ、私は人を笑わせられる。誰でもそうだと思うけれど。そんなときの自分が好きだ。誰かを元気に、少しだけ幸せにできている気がする。
 
 私は小学生の時、ものすごいマイナス思考だった。いつの間にこんなにプラス思考になったのだろう、と自分では思っていた。でも友達は、笑いながら「けこ(私のあだ名)、変わってないね」と言った。何か吹っ切れた感じはするけど、昔しまわれていたものがでてきたみたい、だそうだ…。その時、やっと、自分の小学生時代を、愛しいものに感じることができた。

 卒業の時には、もう仲直りをしていて、私たちは笑って、離れたはずだが、そして、中学に入って以降も、私たちは仲良く時々はあっていたし、手紙を書いたりし続けたが、私は、小学生のある時期、彼女たちを殺したいほどにくんでいた。もしかしたら、私自身も。

「一緒にかえろ」私が誘うと、みんな「今日は用がある」という。おかしいと思って、後を付けると、みんなが楽しそうに、屋上で遊んでいる。みんなに見つからないように、屋上にでる階段のぎりぎりに立って、私は一人で泣いた。そこは陽があたらなくて、ひんやりとしていた。

 わざと私が気になるように、内緒話をする。トイレに二人で入って、何かこそこそ話している。私は、足が痛くなるまで、トイレの戸をけっ飛ばした。

 誰も遊んでくれなくて、でも、一人だということを他の人に知られたくなくて、私は休み時間の間、教室にいることもできず、ただくらい廊下にぽつんと立って、時間を潰した。

 小学校を卒業して、もう10年も経つ。でも、なぜか、その小学校につきまとう、薄暗さと冷たさは心の中から消えたことはない。・・・それだけが、私の小学校の思い出になってしまっていた。本当は、そんな時期はほんの数ヶ月だったのに。そのほかの5年半ぐらいは、日の当たる校庭で鉄棒につかまりながらしたおしゃべりや、友達と同じ「園芸部」に入って、草に水をあげるのをさぼってした、水かけなどなのに。

 やっと、陽の光が、私の小学校の思い出に帰ってきた気がした。

 来年から、塾の先生になるからかな。小学生の先生になるのもいいかもしれない、と思った。「夏の庭」について、この間書いたけれど、その中には、家族、学校という狭い世界しかない小学生の世界がよく書かれていた。塾は、3つ目の世界になりうる。

 私自身は、中学受験をした。仲間のなかで、受験をするのは私だけで、私だけが塾に通っていた。塾は楽しかったけれど、6年生の始め、その塾の先生が、成績のいい子だけを引き抜いて、自分が個人的に教える、といい始め、私は引き抜かれた。でも、その先生は、数ヶ月後に転職し、私たちは見捨てられた。
 
 私は、親が塾を嫌っていたのか、他の塾には入らなかった。だから、母親と二人で勉強した。つらかった。過去問を解いたとき、「何でこんな問題もできないの」と母が言った。母も、せっぱつまっていたのだとおもう。なにか戦いのようなものだけが、そこにはあった。
 
 私はある夜、ベランダに出た。多分、母を心配させようと思っただけだと思う。でも、もしかしたら、本当に死ぬ気だったのかな、今でも時々、考えるときがある。そして、その時死ななくて良かったな、と思う。でも、その時の感覚はよく覚えているけれど、夜風が涼しくて心地よくて、暮れた空はきれいな群青だった気がする。きっと、死ぬ気なんてなかったのだろう。

 でも、その頃の私がおかしくなっていたのは確かだ。友達に仲間外れにされたことを、後々になって考えてみると、いじめられて当然だな、と思われる性格を私はしていた。
 
 中学・高校と一緒で、今は一番の親友になっている友達とは、6年生の後半に出会った。その頃私は四谷大塚の日曜テストというのを受けていて、毎週テストを受けにどこかの校舎に通っていた。その時に出会ったのだけれど、今親友になれているのが、奇跡としか思えないような出会いだった。
 
 今だから言えることだが、私はテストの時、隣に座った人が気に入らないと、自分が書くとき以外は、貧乏揺すりをして、相手のテストを妨害した。一人でも多くの人に勝ちたかった。多分それだけだった。…その友達は、その被害者の一人だったらしい。無責任にも、加害者は覚えていないのだが(^^;) そして、同じ中学の入試で私を見つけ、どうか私が落ちますように、と、番号を調べていたらしい。でも、何の縁か、同じクラスにまでなってしまった、という。しかも、すぐ隣の席(笑)

 この間、友達と、もし自分が男だったら、どんな女の子とつきあいたいか、という話をした。一人だけ、自分、と言っていた、なかなか自信過剰な(笑)友達がいたが、私は、自分とは、友達にもなりたくない、と思う。あまり、私は自分が好きではないのかもしれない。でも、一番嫌いなのは、やはり小学生の頃の自分だ。生徒にそんな子がいたらどうしうようと、鳥肌が立ってしまうぐらい、自分でありながら、怖い。そう、思い続けてきた。
 
 でも、自分を甘やかすわけではないけれど、私はただ、受験の犠牲者になっただけの気がする。今なら、そんな子供を、支えてあげられる気が少しだけど、する。貧乏揺すりまでして1位になる必要なんてないよ、人生で大切なのは、勝つことだけじゃないよ、そっと、そう教えてあげられる気がする。

「けこは変わってないよ」その言葉は、喜んで受け取るべき言葉なのか、今はよく分からない。でも、私が今思っているほどは、その頃の私は不幸ではなかったのかもしれない。薄暗い廊下から、陽の当たる校庭に、記憶を塗り替えてあげること。今なら、できそうな気がする。

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