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湯本香樹美の「夏の庭」と死の恐怖の正体

 知り合いに薦められて、湯本香樹美の「夏の庭」を読んだ。「死」というものに興味を持った小学生が、好奇心から死にそうなおじいさんに近づくが、それが友情になっていき、「死」を自分の身近なものとして経験する話。最後の方はとてもしんみりとさせられ、でも、なんだかとても温かい気持ちになれる小説だった。
 
 それから、「世界の果てに」という映画を見た。金城武が好きなので、ただそれだけの気持ちで見た映画だが、それもまた、自分がもう長くはないと知った少女の話だった。その映画の中の「死」の扱い方には、ちょっと同意できないところもあったけど、でも、スコットランドの奥に、死期を間近に向かえた老人しか住まない島がある、そこの出身の人たちは死んだときか、自分がもう長くはないと悟ったときだけその島に帰る、という話があって、その話は好きだ。

 人は何で、「死」を怖れるのだろう。その二つのストーリーに触れて思った。「死」は怖いことではないかもしれない。二つとも、そんな風に思わせてくれる、優しい作品だった。

「死」は、痛みをともないそうだから怖い。それはあると思う。でも、本当に怖れているのは、「死」自体ではなく、「死」による「関係」の終焉だろう。「夏の庭」で、最後の方に主人公の男の子が言う。

「もし、もっとおじいさんが生きていてくれたら、ぼくはいろいろなことをおじいさんに話せたし、ときには相談にだってのってもらえただろう。(略)夏になったら、また一緒にすいかを食べたり、花火だってあげてくれたかもしれない。ぼくが大人になったら、いつかのようにいっしょにお好み焼き屋でビールを飲むことだってできただろう。そうすることができないのは、すごくさびしい。心細い。だけどそれは、結局ぼくの問題なのだ。おじいさんは、十分立派に生きたのだ」

 後に残された人が、そう言ってくれるなら、死ぬことはそう怖いことではないかもしれない。死期が近づいたと悟ったとき、全ての関係を絶って、島に帰るのなら、「死」はそんなに怖れるべきものではないかもしれない。

 葬式に参列して思うことがある。自分が死んだら、一日ぐらいは泣いて欲しい。でも、一日泣いたら、もう、笑って欲しい。だって、生きることは、大変なことだから。死んだ人は、もう、生きている人に負担をおわせることなんてできないし、したいと思ってはいないのだから。一人、部屋で数分祈ってくれるなら、わざわざ会社や学校を休んで、葬式に来る必要はない、私はそう言って、死にたいな、と思う。…もちろん、私はまだ死ぬつもりはないけど(笑)

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