過去Diary

1年の終わりに

 あと、今年も残すところ2日となりました。皆さんは、今年中にやっておかなくては、と思っていたことを、ちゃんとやり終えましたか?
 
 私は、まだかなぁ……。今年起こった様々なことに、きちんと気持ち的に整理をつけたつもりだったけれど、まだ全然ダメみたい。
  
 けれど、それでいいかな、と思います。一年なんて、所詮人間の決めた区切り。そんな簡単に、心は割り切れない。今年あったたくさんのこと。それによって、かき乱された気持ち。でも、そうやって、ざわざわと心が動いているから、その混沌から、何かが生まれるのかもしれない。次に向かう原動力のようなものが。
  
 年末、全ての力を使い切るのではなく、年末、今年あったたくさんのことを思い出すことによって、来年に向かって、何かが流れ出す……そう信じたい。今年の反省、今年の成長をふまえた来年を迎えよう。
  
 昔は、大晦日に、その年起こったことを、重要と思われる順に10個書き出して、それにコメントをつけ、一年がどんな年だったかを自分なりにまとめ、整理した。でも、今はそんなことしたくない。それは、過去を過去と割り切れない自分の弱さだろうか。
 
 でも、今年は365日もあって、それをたった一枚のレポート用紙なんかに、まとめてしまいたくはないんだ。書き付けられたら、それは、自分の生きていない、1000年前の「歴史」と同じような、安定した、でも、古びてしまった物になってしまいそう。
 
 自分を包んでくれた過去や、未来の確かな約束。そんな物のために生きないで、「今」をきちんと見つめていきたい。でも、本当は、人はその二つに支えられて、どうにか「今」を見つめられるのかもしれない。

 でも、やっぱり、「新しい」一年。今年よりは、成長した自分でいたい。

 そう、今日はやっと「もののけ姫」を見ることができた。宮崎駿の作品はほとんど全部見たけれど、映画館で見たのは初めての気がした。
 
 私より前にそれを見た友達が、感想を言っていたけれど、「もののけ姫」は、「風の谷のナウシカ」に戻った感じがした。でも、もし「ナウシカ」の頃だったら、「もののけ姫」も、もっと完璧なハッピーエンドだっただろう、と。
 
 同じ、文明と、自然との共存をテーマとした話。でも、「もののけ姫」は、最後、お互いが「妥協した」という感じがした。どちらかが、勢いよくぶつかっていって、完全な勝利を収める、ということではなく、ただ対立関係を打開することの困難さが強調されている。
 
 大人になったら、みんなが冷めた目を持つ、というわけではないと思う。でも、昨日はテレビで「ロミオとジュリエット」をやっていて、思わず見てしまったけれど、あの二人は、原作では、16歳ぐらいらしい。あそこまで、利害関係とか駆け引きを捨てて、燃え上がれるのは、若さゆえ、としかいいようがないと思った。
 
 人は、やっぱり大人になるにつれ、経験の数が増えるにつれ、単純ではいられなくなる。物事を二項対立の思考で片付け、どちらが悪で、どちらが善だ、といえなくなる。どちらも正しいと思い始める。……そうすると、歯切れのいい、完全なハッピーエンドの可能性はどんどん減る気がする。……もしかしたら、完全な悲劇の可能性も減るのかもしれない。それでおあいこかもしれない。
 
 大人になるということは、多分そういうことであって、だから子供の社会より、まだ大人の社会の方が生きやすい。社会人が、みんな子供のように、騒ぎ立てていたら、世の中回っていかない。
 
 でも、一つ悲しく感じることがあるとしたら、成長というのは、一方向であるということ。
 
 私は自分が変わると、自分の書く小説も変わって行くな、と思うけれど、多分、昔のような小説はもう書けない。宮崎監督も、もう「ナウシカ」のようなものは書けない……それでいいような、でも、可能性が減っていくような、気持ち。
 
 結局変わっていくことを止められないのだとしたら、良い方向に変わっていけるように、そのことに全力を尽くすことだ。過去を振り返って、うだうだしている暇はない。そんなことをしていたら、今の舵取りに失敗してしまう。過去を向いて、後ろ向きに歩くのではなく、背中から栄養をもらいながら、前をしっかり見つめて、歩いていこう。
 
 大人になれば(精神的な)、「完全な悲劇」はないのだから、怖れることはない。「ロミオとジュリエット」は、完璧なトラジディー?その愛は、二人の体を滅ぼしたとしても、両家の争いを収めたのなら、二人が長生きするよりも重い価値が、二人の生誕にはあった。
 
 愛について語るのは難しい。当事者二人が幸せを感じられないのなら、その愛には意味はないといわれるかもしれない。でも、社会にプラスになる愛は、それはそれでまた、価値のあることかもしれない。
 
 この間、風水の本を読んでいたら、風水では不倫は必ずしも悪いことではない、と書いてあった。もし、その恋があるために、結婚している男の人が、奥さんとだけ暮らしているときよりも仕事の能率が上がるのなら、それは意味のある恋だからいい、と。それを鵜呑みにするのは危険の気がするし、家庭にトラブルがあるのに、仕事の能率が上がるってあり得るのだろうか、と考えてしまうが、でも、愛とか感情の問題に限らず、全て人の身に起こることは、プラスとマイナスの面を持っているし、そのプラスの部分をマイナスより多く見つけられさえすれば、それでいいのではないだろうか。
 
 愛なんて、例え両思いであっても、どこか独りよがりなもの。相手のことを考えられるかは大切だ。でも、結局相手のことを考えるのも、それが自分の幸せになっているから。相手に迷惑をかけないようにするのも、自分が罪悪感とか不快な気持ちを覚えなくてすむから。結局、相手にも関係のない、自分の中の問題なのかもしれない。それは悲観的だろうか?
 
 難しく考えるから、物事が難しくなる。その思いが自分にとってプラスでさえあればいい。マイナスだと思ったときに、やめればいい話。
 
 この間、複数の彼女がいるという人に会った。私は始め、one of themになっている、その女の人たちが「可哀想」と思った。でも、本当はそんなことは言えない。その人たちは、別れるよりも、その人といることを選んだのだから、それでいいのだろう。それに、その男の人だって、本当は一人の人を本気で思えた方が、幸せだったのかもしれない。別にその女の人たちを苦しめようとしてやっていたわけではないのだと思う。もし万が一、苦しめようとしてやっていたのだとしても、それでその人が幸せになれるとは思えない。……やっぱり、自分の問題でしかないんだ。だから、人は他の人の感情に、本当は口を出すべきではない。

 ……ものすごく脱線した気もしますが、結局今年はそんなことをたくさん考えた年でした。大学に入ってからは、ずっとそういう、価値観の揺らぎについてばかり考えてきたのかもしれない。高校時代に書いていたような、一つのテーマを叫ぶような小説は、もう書けなくなった。……色々な考え方が世の中にはあると思う。そして私はこう考える、そこまでしか、最近は言えない。それでいいか。それが私の成長だ、と言って、自分が満足できれば、きっと今年も良い年だったのだろう。
 
 でも、人の笑顔や、幸せを見て、自分が幸せだと思えるような人になること、それが理想……きっと。

 さて、あなたにとって、今年はどんな年でしたか?

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