過去Diary

I’ll be there

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 明けましておめでとうございます!!
 
 皆さんは、新年は、どうやって迎えたのでしょうか? やっぱり「ゆく年くる年」を見ながら?(笑) 私はやっぱりそうやって迎えないと、お正月の気分が出なくてダメです。外国じゃ暮らせませんね……(^_^;)
 
 家がもっと田舎にあったら、山寺に並んで、生で除夜の鐘を聞くのに、と思ってしまうほど、その日だけは(?)、日本的な私です。
 
 一年が終わったって、本当は対して変わらないのかもしれない。でも、その鐘の音を聞きながら、今年は何があったかを考えていると、なぜか理由なく、「今年も良い年だった、来年も頑張ろう」と思える。
 
 今年は恥ずかしながら、色々な人とトラブったりもしたし、人を憎んだり、許せないと思ったり、もうそんな人の顔も見たくない、と思ったりした。でも、その時間になると、何だかそんな憎しみとかは、何の意味も持たないと思える。
 
 家だけの風習なのかもしれませんが、大体大晦日は家族がちゃんとそろい、年越しそばを食べた後、プチケーキを食べます。なぜプチケーキを食べているのか謎なのですが、毎年食べます(笑) とにかくそうやって、同じその習慣を続けてきた家族がそろい、その温かさに包まれる。くさい台詞かもしれないけれど、そういうとき、人の心の中に元々あるのは、人を憎む気持ちではなくて、人を思いやる気持ちだと思う。
 
 終わりよければ全て良し、じゃないけれど、でも、年の終わり、優しい気持ちでいられて良かった。確かに一年、色々なことがあったけれど、私はそのことによってたくさん成長したし、そしてその成長は、ただ単にもがくことの積み重ねでしかなかったけれど、きっとそうやって私がもがくこと、すなわち行くべき方向も分からないまま、ただ精一杯に生きているということで、きっと誰かの成長の助けになれたと思う。
 
 私が変えたいと本当に望んでいた人は変えられなかったかもしれない。でも、誰かのことはいつの間にか、そんな「変えたい」と望まなくても、変えている、その人に大きな影響を及ぼしているのだと思う。私が色々な人の小さな行為、言葉によって、少しずつ変わっていっているように。だから、自分の存在を決して疑わずに生きようと思った。そして、去年一年の意味も。

 私は今年もいつものように、特に目標を立てることはしない。大切なのは、記録に何が残るかではなくて、心に何が残せるかだ。1996年の1月に自分の日記に書いた。
 
 その頃は、まだ私は役者をしていて、その劇団を大きくしたいという夢があった。でも、それでも、本当に大事なのは、そういう具体的な目標の達成ではないと思っていたのだと思う。
 
 私は1996年4月で役者をやめた。でも、1996年は、他のことを頑張れたし、良い年だったといってその年も終わらせることができた。目標なんて、ころころ変えたっていいと思う。ただ心に何が残せるかだけ、考えていく。
 
 あと、1997年の1月には、アムロの曲がはやっていて、その中の歌詞「I*ll be there.」に影響を受けただけだと思うが、1月1日の日記にはこう書いている。

「でも、1日1日ただできることを頑張ってきて、これからだってそれでいい。先のことなんて考えていたって、刻々と変化するんだもん。去年について、今年について、一括りにした言葉なんて言いたくない。今は。私は今ここにいて、生きている。あなたもそのにいて生きている。彼も、彼女も……。それだけが確かなこと。I*m here, and I*ll be there. I won*t be here a year leter.」

 誰に見せるものでもない日記になんて気取ったことを書いているのだろう、と我ながら笑ってしまうが、でも、去年を終えるとき、確かに1997年1月1日に「here」と言った場所にもう自分はいないということを思った。それは漠然とした「目標」だったのかもしれないけれど、年を始めるとき、私はただそれくらいのことだけを、ただ漠然と考え、また一日一日を積み上げていく。

 1998年。この年が、皆さんにとって、そして私にとって、素敵な年になりますように。

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