今期ドラマは、今のところ三つ見ている。
一番気に入っているのは、大河ドラマの「新撰組」(今期と言うより、今年だけど)。
あと、納得行かないながらもつい見ているのが、月9のキムタクのドラマ(私はキムタクファンではないです)。それから、「エースをねらえ」
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時代を超える作品
私は全然アニメを見ていなかったので、特に違和感を覚えるでもなく、「こんな奴いるかよ」とか「こんなことあるかよ」とつっこみ入れつつも、かなりおもしろく見ている。
これはもともと、旦那さん(アニメをきちんと見ていたらしい)が「ドラマになんてなるのか?」という好奇心で見始めたものだったが、今日は「(内野さんが)本物の宗方に見え始めた」と騒いでいた……。
アニメが原作だから、「えー、嘘だぁ」というつっこみどころは満載だし、もしかしたら、「昔ヒットしたアニメだから」ということで、何をやっても許される部分があるのかもしれない。
でも、自分が生まれる前に放送されていたアニメが、実写に変わったとはいえ、未だ現役でいるということに、ある種のすごさは感じずにはいられない。
いい作品とは、時代を超えるものだ。
100年後まで残る文学作品は?
文学において、そう感じたのは、いつだっただろう。「源氏物語」に触れたときだったかもしれない。着ている服や生活習慣は変わっても、人の心は大して変わらない。それに感銘を受けた。
今の作家で、たとえば百年後、二百年後まで読まれ続けるのは、いったい誰なんだろう。なんとなくそんなことを考えた。
それは多分、目新しさとか、今の社会とかを意識しすぎず、自分の心の内の必然を書いている人なのだろうな。目立たず、ひっそりと活動している人なのかもしれない。今の時代の、賞なんて全然獲らずに。
いや、それか、吉本ばなな、みたいな人なのかもしれない。ばななさんの文章は、やはり自分の内側からわき出してきているものだと思うから。そういうのは、きっと人の心に伝わり続けるだろうな、と思う。
この間、芥川賞が発表されてから、少し、「どういう作家を目指すべきなのか」ということを考えた。
何を一番大切にしていきたいのか、人に出来なくて自分に出来ることは何なのか。それをしっかり捉えていないうちに、プロという壇上に立ってしまうことには、あまりに未来がなさ過ぎるのではないか、そう感じてしまったのだった。
別に、今回獲った二人がそうだろうと、批判しているわけではなく、彼女たちの歳をゆうに超えてしまっている自分は、今更焦って、「出来るだけ早くデビューしよう」などと思う必要はないのではないか、と感じたのだ。
そして、ものすごく話題になるような作家にはならず、いつもひっそりと、でもなぜかぎりぎり採算ラインは売れ続けている……そんな不思議な存在になりたいと、変なことを思ってしまったりするのだ。
「現代を映している」良さと悪さ
最近の芥川賞は、「現代を映している」作品をよしとする傾向が強いようだ。
でも、「今」に合わせた作品、「今」の新しさだけねらって書いているものは、古くなるのも早い。
三田誠広の「僕って、何?」を読むとそれを強く感じる。三田先生は、授業で「等身大の自分を描きながら、今の社会を描く、そんな作品がいい小説なのだ」と言っていた。
でも、どうなのだろう。
本当に目指すべきは、何百年後読んでも、「この気持ち、分かる」と言ってもらえる、そういう作品なのではないだろうか。
そして、ものすごく話題になったりするわけでもなく、「私は、分かるよ」と思ってくれる読者に、ひっそりと広まる、そんなものなのではないだろうか。
あくまで私の価値観だけれど、最近ちょっと、そんなことを思った。