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映画「イノセンス」

見てきました、「イノセンス」。

封切り直後はランキングのかなり上位だったのに、最近はかなり落ちてしまっているのか、近場の映画館ではレイトショーしかなく、イクスピアリまで行ったけれど、がらがらでした……。

良かったのに……。

 

「分かってもらえなくても一向にかまわない」的映画

ただ、本当に難解なのは難解。しかも「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」を見て予習しておかないと、さっぱり分からない。

10年近く前の作品の続編なのに、そんな当たり前のように一作目の情報を知っていると決めつけて話を進めていいのか?!と言いたくなるほど、ある意味不親切な作品でした。

でも、この作品はもうひたすら「作りたい世界を作りました」「自分の訴えたいことを訴えました」(でも、分かってもらえなくてもそれは一向に構いません)というようなトーンで貫かれた作品なので、この「不親切」はある意味親切なのかもしれない。

初めから、「題名だけで見る映画を決めたような奴は観なくていい」と断言してくれているようなものだから……(それはうがった考えか?)

私はその徹底ぶりにただもうひたすら感心し、「是非、これからも頑張ってください」と惜しみなく拍手をしたい感じだった。

文学仲間と話しをするとよく、「個性」が大切なのか、多くの人に分かってもらえる「普遍性」や「エンターテイメント性」が大切なのかという話題になる。

エンターテイメントの良さを訴える人が多い集団の中、私は「個性」を貫き、「純文学」で行きたいと断言し続けている。

ただそう言いながらも、「個性」だけに徹底できない。コアなファンがついたらいい、といいながらも、周りの多くの人の目を気にしてしまう。

自分がそういう状態のせいか、こういうひたすら「個性」の作品を見せられると、衝撃を受けてしまうのだ。

映像の美しさ

ともかく、私は絵の美しさに魅せられてしまった。

絵(映像)の一つ一つに神経が使われているのが分かるし、完全な世界ができあがっているからそれに浸ることができる。それが心地よかった。

テーマを真剣に考え、意味を読み解くのもいいけれど、こういう世界に浸りながら眠りに落ちるのもなかなか贅沢でいいかもしれない……なんてことも思ってしまった(ファンの人には怒られるかも……すみません)。

プロローグ(初めにスタッフの名前などが出てくるところ)だけでも、美術館の隅で流されたら、「これは芸術だ」とありがたがられるだろうという、完璧な出来だった。

内容については、正直7割程度しか分からなかった。やはり原作のマンガを読んでおかないとちょっとつらい。

でもストーリーや設定が完璧に分からなくても、テーマのようなものは響いてくる。淡々としているし、いまいちよくは分からないのだけれど(笑)、それでも最後の方は少し切ない気持ちになった。

 

機械の体を選べるとしたら?

映画を見て思ったのは、作者の伝えたかったこととは関係ないかもしれないのだけれど、人間の体について。

「GHOST……」の時の主人公は、今はもう体を持たず、GHOSTをその時々ロボットに入れることで人の前に現れるのだけれど、人がもし、自分の体がなくても生きられるようになったら、どうなるのかなということを考えた。

病気の心配のない機械の体(機械だから病気はなくても故障はするだろうけれど)、いくら使っても疲れない体、老いの心配のない体、必要なときは空を飛んだり、パソコンの代わりになってしまうような体……もし今の体とどちらでも好きな方を選べるとしたら、どうするのだろう。

自分が自分であるそのアイデンティティは脳にしかないと割り切れてしまうものだろうか。

いざそうなったらどんな選択をするか分からないけれど、今からそんなことを考えてしまうくらい、私は自分の体を大切に思っていないのかもしれないと、ちょっと反省したりした……。

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