森絵都

森絵都「みかづき」

久しぶりに小説の感想をアップ。

森絵都さんの作品は以前から好きなのだけれど、この作品も衝撃的に良かった。

「登場人物が本当にいるよう」とか「生きて思考しているよう」なんて生易しいものではなくて、登場人物が森さんに憑依して想いを語っているような、あまりに登場人物がリアルに生きていすぎて、語り手である森さんの存在が完全に消えてしまっているような感じ。

森さんはもともと児童文学から出てきた作家で、「カラフル」などの子供向けの本も素敵なのだけれど、私は、森さんが大人向けに書いた「風に舞いあがるビニールシート」にやられた。

直木賞も獲った作品だから、多くの人がその良さを認めているのだろうけれど、私も、「風に舞いあがるビニールシート」を読んだとき、やばいぞ、この人。と思った。

それと同じか、それ以上の衝撃が、この「みかづき」にもあった。

私のなかで小説ナンバー1はリリー・フランキーさんの「東京タワー」なのだけれど(「好きな作家は?」と訊かれたとき、リリー・フランキーさんの名前は出ないのだけれど、小説ナンバーワンとなると、「東京タワー」の衝撃を超えるものがなく……)、今後、「好きな小説は?」と訊かれたら、「『東京タワー』と『みかづき』」と答えようかと思う。


森絵都「みかづき」のあらすじ

「みかづき」の内容を、ざっくりまとめると……

塾というものがまだ市民権を得ていなかった頃、文部省の教育に歯向かうかのような形で千葉県八千代台に塾を開いた女性と、その女性に気に入られ、講師として抜擢された元用務員の男性の波乱万丈の人生。そして、その2人のあいだに生まれた女性3人と、孫まで続く、3代に渡る“教育”との格闘の歴史。

という感じになる。

私は10年くらい前まで約10年塾業界にいたので、塾というものの抱えている問題や塾の内部構造みたいなものを少しは知っているのだけれど、「そうそう」「分かる、分かる」と納得の内容だった。

塾のアルバイトをしたことがある人は結構多いはずだから、そういう人にとっては、特に面白い読み物になっているのじゃないかと思う。

そして、この小説には、私が知っている10年以前の教育現場の実情も、それ以降の現場の様子も描かれていて、それは非常に勉強になった。

この小説にはいい塩梅で、時代を感じさせる固有名詞が登場する。業界の話では「四谷大塚がナガセに買収される」とか、それ以外でも「ノストラダムスの大予言」とか「宇多田ヒカル」とか。それで、「あぁ、あの頃の話か」と、よりリアリティも感じさせるようになっているように感じた。

最後は、最初の主人公・千明の孫、一郎が主人公になる。そこはもう現代。この1冊の本の467ページで、47年間が流れた計算になっている。

千明の夫・吾郎は終盤、こう語る。

「ごく一部の子どもたちが人目を忍んで通塾していた四十七年前と、塾へ通わない子どもの方が少数派になった今と、その教育環境の劇的変化を突きつけられた思いもした」

そして、読者も気づく。
その47年の劇的変化に自分も立ち会ったのだ、と。

結局、教育とはなんだろう?

でも、47年かけて、時代は変わり、その時代の変化についていこうと、塾も文部省も変わっては来た。この本のなかでも、現実の世の中でも。

でも、結局、完璧な教育など、ありはしない。

それを多分、教育に携わっている、そして過去に携わったことがあるすべての人は分かっている。それが、この本のタイトルが「みかづき」である理由だ。

この本の帯には
「私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです」
という、千明が物語の初めの方で語った言葉が書かれている。

そのときに出ていた月も三日月だったから、きっとそこから「みかづき」というタイトルが来たのだろうと、最初は思う。

でも、「太陽と月」の対比くらい、「満月と三日月」の対比にも実は意味がある。

ちょっとだけネタバレになるけれど、終盤、千明の夫・吾郎がこんな演説をする。

「妻はこんな話をしました。これまでいろいろな時代、いろいろな書き手の本を読んできて、1つわかったことがある。どんな時代のどんな書き手も、当世の教育事情を一様に悲観しているということだ。最近の教育はなっていない、これでは子どもがまともに育たたないと、誰もが憂い嘆いている。もっと改善が必要だ、改革が必要だと叫んでいる」

「教育に完成はありません。満月たりえない途上の月を悩ましく仰ぎ、奮闘を重ねる同士の皆さんに、この場をお借りして心からの敬意を表します」

完璧になろうと思っても、人間である限り、完璧にはなれないように、理想の教育を求めても、完璧な教育などはできない。

すべての子どもにしっかり接しようと思っても、時間や手が足りない。どこかに力を入れたら、どこかが零れ落ちてしまう。

きっと教育の現場にいる多くの人が感じているもどかしさだと思う。でも、だからこそ、人生のすべてを教育に捧げながらも、それでもなお「満月」の教育に辿り着けなかった登場人物たちの姿は、実際に教育の現場に、今いる人たちへの励ましになるように感じた。

この本は、「教育」「塾」の話としてだけではなく、家族一人ひとりの成長の物語にも読めるし、様々な読み方をさせてくれる懐の深い作品だと思う。

でも、私は敢えて、この本を、教育現場に今いる人に読んでもらいたいと感じた。

それは、「これくらい熱く頑張れ」ということではなくて、どんなに迷いなく自分の教育を語り、貫いているように見える人でも、きっとどこかには満たされない迷いの部分を持ち、だからこそ、より情熱的に生きようともがいているのだと、知って欲しいから。

当然、登場人物はフィクションなのだけれど、でも、それくらい本当にリアリティがあったし、私も教育現場にいるときに、この本とこの本の登場人物に出会っていたかったな、と思うから。

2017年の本屋大賞では、恩田陸さんに1位を獲られ、「みかづき」は2位でしたが、私にとっては、多分2017年1位の本になると思います(ま、でも次は「蜜蜂と遠雷」を読むかな……)。

森さん、素敵な本をありがとうございました!
こういう全身全霊で書いた小説を読めたとき、しあわせを感じます!

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