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「ダイアログ・イン・ザ・ダーク~ベーシックver. ~」感想

昨日は両親が子供を預かってくれたので、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に旦那と2人で行ってきました!

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」とは、「純度100%の暗闇」に8人ほどのグループで入っていき、そのなかでいくつかの体験をするというイベントというか、体験型アトラクションみたいなもの(※現在、東京での開催はされていません)。

暗闇の中では白杖を持って進み、「次の部屋に行きますよ」などアテンドしてくれるスタッフは、視覚障害者の方。

サイトにも「様々なことが感じられた」という肯定的な意見が多く、期待を持って臨んだのですが、その期待を裏切らない、濃密な90分を体験できました。

しかも「きっと暗闇の中では、こんなことを思うんだろうな」と予想していたのとはまた違う、本当に心の底からの気づきがたくさんあり、非常に良かったです。

暗闇になって、変わること

最初、明るい部屋で8人のメンバーと顔を合わせ、軽く「よろしくお願いします」程度の挨拶を交わします。そのときはまだ、スタッフの方は健常者。明るいので、普通に他のメンバーの顔も分かります。

私が参加した回は、2人ずつの男女ペア×4組。そして、明らかに他の3組は20代か行っていても30代前半っぽい。しかも夫婦ではなく、カップルのよう。あ……私たち、なんか浮いてる(笑)

次の部屋に行くと、ぐっと光量が抑えられていて、そこで目が見えないスタッフの人が出迎えてくれます。このあたりは、ディズニーランドのアトラクションのよう。ちょっと、シンデレラ城などを思い出したりもして。

でも、スタッフの人の脇には様々な長さの白杖があり、次第に本当の暗闇になりますよ、という説明があります。で、だんだん、ドキドキ……。

白杖を一人一本ずつ取ると、使い方を説明されます。叩くように使うと、高低が分かり、横に滑らせるようにすると質感が分かる、みたいな説明。なるほど。

次からもう真っ暗闇かと思いきや、まだちょっと明るい。ぼんやり周りの人の顔は見える程度になります。そこで、隣の人と触れ合うくらいの小さな輪になります。随分近いな、とその時点では思うのですが、なぜその近さなのか、あとで分かります。

そのまま、光が消えていくのです!!

でも、不思議。明かりがついているときには、「ちょっと近すぎないかな」と思っていても、暗くなると「あ、触れるくらい近くに人がいて良かった」になる。

そしてその場でそのまま、軽く自己紹介。といっても、「ここでは、こう呼んでください」というニックネームを自分で決めて、伝えるくらい。

暗闇になると、ちょっと、自分が世代的に浮いているということを忘れられるのが、メリット(笑)

暗闇で何ができるの?

そのあと、3つほど部屋を移動しながら、「この場所はどんな場所でしょう?」「今、触れたものは何でしょう?」「この場所は広いと思いますか?」「足元はどんな感じですか?」など、アテンドの方に促されながら、未知の世界を探検していきます。

多分、1つ1つの部屋はかなり狭いと思われるものの、すり足で進んでいるから、意外と端に辿り着かない(笑)

そして、ある部屋で、アテンドの人に言われます。

「ここで何か、子供の頃に公園などでした遊びをしたいと思いますが、何がいいですか?」

複数遊びの名前が出たあと、私たちは「かくれんぼ」をすることになりました。

隠れる場所はないけれど、どこにいても、暗闇に隠れています。それも、また、不思議な感覚。

真っ暗で、慣れてきても何も見えないくらい、本当に暗いのですが(会場は地下一階にありますし)、案外、足音や気配はなかなか消せないもので、人の気配は確かに感じます。

そして、最初はこわごわ動いていたのに、だんだん、「結構、この世界でも動けるんじゃないか?」という気がしてきます。

で、暗闇の怖さから次第に解放されていくと、不思議と感じるのは、暗闇の心地よさ。

私は狭い空間などが結構苦手で、選択できるなら食事をするのも、地下の店ではなく、窓がある明るい店を選ぶし、しばらくコンクリートの建物や都会に押し込められている感が強くなってくると、「視界の開けたところに行きたい!」という欲求にかられ、海や広い公園などに旅立ちます(笑)

ただそんな私が、かなり狭い(と思われる)地下の空間にいて、無限の広がりを感じ、心地よささえ感じていました。

つまり……「狭い」「閉じ込められている」と普段感じているのは、物理的な話ではなくて、自分自身で作った心の檻に自分を閉じ込めているだけなのかもしれない。本当はもっと想像力で、いくらでも世界を広げられるのかもしれない。……という気づき。

この気づきは、万が一、自分が監獄などに入れられたときには、非常に役立つと思います(入りたくないけど!(笑))

結局、この「かくれんぼ」は、私だけ上手に逃げおおせました。ただ、視覚障害のあるスタッフの人だけは、全体が手に取るように分かっていたようで、「近くまでいっていたのに、惜しかった」とか、最後にコメントしていました。一人だけ、目が見えているみたいで、びっくり!

暗闇が気づかせてくれた、もう一つの縛り

最後の部屋は、カフェになっていて、好きな飲み物を注文して、飲むことができます。

いまいち配置は分からないものの、8人が同じテーブルにはついていたようです。8人でゆるく話をしながら、飲み物を飲み、おつまみを食べます。もちろん、暗闇で、手探り状態で。

そこで気づいたのは、私は普段、人とお茶をしながら話をしているときでも、相手が話しているときは、失礼だと思って、飲み物や食べ物に基本、手をつけないな、ということ。でもそれは、相手のためでもあり、ただ単に自分が人の目を気にしすぎているだけなのかもしれないな、と。

暗闇だったら、人が話していても、バクバク物を食べ、背もたれにもたれて、のんびりくつろぐこともできます。

普通、初めて会った、世代が違う人ばかりのところに迷いこんでしまったら、もっと自分は身構えているはずなのに、なんか、力抜けている……。

でも、それだけ力を抜いていても、本当は別に誰にも迷惑をかけないし、誰かの気分を害すこともないのかもしれない。

そんなことに気づけたのもまた、良かったことでした。これくらいリラックスできていれば、人と会ってもきっと疲れない。

障害者はAではなくて、代わりにDを持っている人なのかもしれない

今回、アテンドしてくれたのは、人生の途中で目が見えなくなったという30歳くらい(もっと若いかも)の男性でした。

その人が、参加者の

「今は静かな暗闇だったから良かったけれど、うるさい街のなかで、毎日このまま目が見えずに生活しなくてはいけないとしたら、とても大変だと思った」

という言葉に、少し反論口調で答えていました。

「それは目が見える人からの、上から目線の考え方のように思える」

私は客観的に、上から目線ということではなくて、ただ「自分が急にそうなったら、大変だな」という素直な感想なんじゃないかな……とは思ったけれど、スタッフの人の気持ちも分かる気がしました。

その人は、そのあとにこう続けたから。

「自分には視覚がない分、他の感覚を鋭く使える。目が見えなくなったことで、以前よりずっと物事を考える時間が増えた。それは良かったことだと思っている。

さっき、暗闇のなかの方が、人のぬくもりをありがたく感じ、人の存在をありがたいと感じたと感想を言ってくれた人がいるけれど、僕は、普段からそういう世界を生きているともいえる」

つまり、何かがある・ないという話ではなくて、同じ世界を、AとBとCというツールでで生きている人と、CとDとEというツールで生きている人がいるということなのかな、と思った。

またその人は、こんなことも言っていた。

「街で自分に道を訊く人もいる。え、僕に訊くの?と思うけれど、でも、そうやって助ける側・助けられる側の線引きが曖昧な世界が、僕の理想」

確かに、そうだな。
AとBを持っている人は、それを持たない人が困っているときに助ければいいし、DとEというツールを持っている人は、それを持たない人が困っているときに助ければいい。

暗闇のなかで、視覚障害のあるスタッフの人がとても心強く、格好よく見えたという経験も、自分にとって、価値観を揺らがしてくれる大きな経験だったように思う。

その人は暗闇のなか、あまりに「すべてが見えている」かのように動き、指示を出すから、最後に薄暗い部屋に戻ってきたとき、みんな、その人の目が見えないということを忘れていた。だから、順番に席に座ったあと、「僕もどこか座っていいですか?」と訊かれたとき、「空いているのは、ここです」とあわてて教えてあげた感じ。

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の感想 まとめ

ということで、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」について、ひとことでまとめると、こんな感じかな。

行く機会があれば、是非、行ってください! 行ったら、絶対、一人ひとり何かを感じます! 感じることは一人ひとり違うでしょうけれど、自分が感じたことが、今、あなたに必要な気づきです。

非日常を感じるって、やっぱり大切。そして、常識を覆されるような経験をすることも。

本当、おすすめのイベントなので、是非♪

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

※現在、大阪で常設されているようです。

蛇足ですが……

目の見えないスタッフの人がカフェで言っていた言葉も素敵で、心に残った。

私がいたグループには、彫刻を学ぶ大学院生がいたから、美術の話に少しなったのだけれど、その人はこう言っていた。

「僕は目が見えないけれど、美術館に行くのは好きなんです。

一緒に行った人が、僕に一生懸命、その作品がどんなものか伝えようとする、その姿を感じるのが。そうやって、一生懸命伝えたいと思うものが、芸術作品にはあるということでしょう?」

私も、“大切な人に一生懸命伝えたくなる何か”を宿すような作品なり、文章なりを書いていきたいと思いました!

 

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