ポジティブ信仰が行き過ぎると、ネガティブな感情は悪いものだと思うようになる。
確かに、ネガティブなことばかり言っている人には近くにいて欲しくないし、ネガティブなニュースはあまり見たくない。
でも、ネガティブなことを聞いて、ネガティブな気持ちになってしまうこともある。
今の時代、欠片も不安とか恐れを持たずに暮らすことは難しいだろう。
先日から「目を向けたもの、意識したものが増える」から、望まないことには目を向けないようにしよう、みたいなことを書いてきたけれど、一方で、こういう話もある。
「これから10分間、りんごのことだけは考えないように」と言われたら、人は絶対、りんごのことを思い浮かべる。
追いやろう、追いやろうとしすぎると、そこでも力が入って、「戦闘モード」になってしまう。
つまり、「不安」や「恐怖」を感じないように、ポジティブなことだけ考えないと、と思うと、自分の内側から湧き出た「不安」や「恐怖」と戦ってしまう。
それって、あまり得策じゃない。
自分と自分が喧嘩しちゃうから。
こういうときは、無理に不安や恐怖を追いやろうとせず、ちゃんと認めてあげたほうが、不安や恐怖が消えるのも早い。
ちゃんと見つめて、味わうだけでもいいし、理由がよく分からず「もやもや」っとするのだったら、なぜそういう気分になるのか、パソコンに打ち込んでみたり、ノートに書いてみたりして、自分の感情の理由を整理してみてもいい。
こんなときだからこそ、自分とは特に喧嘩しないことだ。
自分から湧き出るものは、たとえネガティブな感情であったとしても、ちゃんと向き合ってあげよう。
理由があって湧いている感情なのだから。
自分の不安や恐怖とちゃんと向き合える人は、不安や恐怖のなかにいる人を攻撃することもない。
そういう人を、ちゃんと癒してあげられるのは、自分の不安や恐怖と向き合っている人だと思う。
だから、人の不安や恐怖について何か言う前に、まず、自分の内側とちゃんと向き合おう。