Well Beingの実践

人の真価が問われる

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新型コロナウィルスのニュースから目が離せない。

世界各国で増えていく感染者や死者の数字、有名人の罹患や死亡のニュース、様々な“自粛”による行動の制限、急に起こる色々なものの買い占め、世界的な経済不況の可能性、いつ終わるのか先が見えない不安……

行動の制限については、都道府県で多少 (国によってはもっと大きく) 差があるにしても、それ以外の不安材料については、みんなほとんど変わらない。

 

だからこそ、一人ひとりの「心の底力」みたいなものが、はっきり分かるときだな、とこの頃感じる。

 

私も何人かの“インフルエンサー”的な人 (主にエイブラハムの理論とか、心の問題を扱っている人) をフォローしたりしているけれど、そういう人のぶれなさに、改めて“すごいな”と感じる日々。

 

「自分の心を生きる」と宣言し、活動している人の発信は、平時は海外の素敵なところを飛び回ってのレポートだったりして、「はぁ、いいなぁ」と思ったりするんだけど、

“本物”は、たとえそんなふうに自由に遊び回れなくなっても、“頭のなかで浜辺に行く”ことだってちゃんとできる。

だから、社会の雰囲気が縮こまっていたって、その人の心は縮こまらない。

ささやかな日常にも、壮大な海外の風景と同じように愛おしさを見つけ、この時期だからこそできることを探して、行動する。

 

エイブラハムが言っていることを、一番シンプルに要約すると、「その人の波動に見合った現実が訪れる」ということ。

今年の初めの頃は、私も大分心穏やかに暮らせるようになり、波動もかなり上がってきているんじゃないか、なんてうぬぼれていたけどね、それは単純に、自分の環境が穏やかだったからなのかもしれない。

 

この1か月ほど、自分が憧れを抱いている人たちの軸の立ち方の強固さと、今の自分との距離を痛感した。

 

ただそれは、否定的な意味ではなくて、今は「伸びしろ」として感じているけれど。

 

こんな騒ぎがまた起こるなんてこと、今から考えるのも嫌だけれどね、でも、次、世界が不安の渦に巻かれたとき、自分が人を照らす光を発せられるほどの存在でありたい。

今はそんな想いで、日々、自分の心に向き合っている。

 

まだまだ未熟な私は、ニュースを見るたび、重たい空気の場所に行くたびに、心が乱れる。

だから、今はものすごく心を整える「静寂の時間」が必要で、本を読んだり、インプットする余裕がないほど。

でも、以前は、そんな自分の心の微細の動きになんて気づけず、心が乱れたら、外からの刺激で麻痺させていた。

それに比べたら、きっと進歩だ。

 

エイブラハムの「気分よくいれば、気分が良くなることが起こる」という理論を聞いて、「そりゃ、良い環境にいれば、誰だって気分よく過ごせるよ」と言う人もいる。

そういう人にも、いい気づきの時期かもしれない。

成功している人たちが、日々、どれだけ努力して自分の心を「いい気分」整えているのか。普段見えないその努力が、少し垣間見えたりする。

 

きちんとニュースなどで正しい情報を得、一番世界を乱さない行動を選択したあとで、自分の心を見つめ、整える。

ウエイン・ダイアー博士は著書で「瞑想は自分のなかに神殿を作ってくれる」と書いていたけれど、まさに、自分の心の奥にだけは、いつだって静かな神殿を保持していたいと思う。

外の情報を見て、心が揺れること、不安になることはある。でも、それに気づいたら、戻る位置があること。それが大事だ。

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