久しぶりに京橋のアーディゾン美術館へ行ってきた。
アーティゾン美術館は、以前は「ブリヂストン美術館」という名前だったのだけれど、数年前大リニューアルして、名前も変わった。
で、「ブリヂストン美術館」だった頃、常設展示されていた絵に一目ぼれしたことがあり、またその絵を見たいなと思っていたのだけれど、今回の「Transformation 越境から生まれるアート」展のポスターを駅で見て、「あ、絶対この人の絵だ!!」となった。
で、他の展示内容は分からないけれど、とにかくその人の絵を見るべく、「Transformation 越境から生まれるアート」へ行ってきたというわけ。
Contents
ザオ・ウーキー
私が一目ぼれした絵の作者は、ザオ・ウーキー。
中国人だけれど、フランスやアメリカを拠点として長く活躍していた方で、「東洋と西洋の統合」の文脈で語られることが多いみたい。
確かに、言われてみれば、ちょっぴりどこかに東洋的なものを感じなくもない。
でも、私は絵画史とか、絵画の理論はよく分からない。
絵はもう感覚でだけ見ている。
ただもう、ザオ・ウーキーの描く抽象画は私の好みのど真ん中な感じなのだ。
一枚だけ「水に沈んだ都市」というタイトルの作品があるのだけれど ↓
それ以外の作品のタイトルはほとんど「無題」とか「07.06.85」みたいな数字の羅列(ただ単に1985年6月7日完成、みたいな意味だと思う)。
でも、ザオ・ウーキーの絵を見ていると、どれも海の中の感じがする。
特に私が一目ぼれしたこの作品(結構大きい)は、「海底都市」とか名付けたくなる(本当は「07.06.85」)。
かなり色々「撮影可」
今って、SNSでどんどん宣伝してくださいっていうことなのか、「写真撮影可」の美術館が多いのだけど、アーティゾン美術館は特に規制が緩いように感じた。
私はザオ・ウーキーの絵しか撮らなかったけれど、モネとかピカソとか、“そんなものまで撮っていいの?”というものまで、ご自由に、な感じだった。
(ルノアールだったか、数枚、撮影NGのものはあったけれど)
時代は変わったなぁ。
それがいいことなのか悪いことなのか分からないけれど、私はザオ・ウーキーの絵の写真が撮れて満足!!
でも、帰ってから写真を見ると、実物で感じた凄さがまったく撮れていないような気もして、“あ~、また本物みたいな”と思う。
それって、芸術の力だね。
ということで、この写真を見て「素敵かも」と感じた人は、是非見に行ってみて欲しい!
石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画
今は、「Transformation 越境から生まれるアート」と一緒に、
「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」という長いタイトルの展示も見られる。
写真が普及してからの絵画と写真の関係性について写真家二人が追及する形になっていて、なかなか興味深かった。
特に私は鈴木さんがモネが睡蓮などを描いた場所に実際に出向き、大判カメラで撮ったという写真に惹かれた。
レンズの開放値の問題なのか、大判カメラの特性なのか、かなり広角の風景写真なのに、非常に部分的にしかピントが合っていないという写真を鈴木さんは好んで撮っている。
その写真について、鈴木さんがコメントしているのが面白かった。
(※私の記憶で書いているので、正確な記述ではないです)
大判カメラで撮り、大きな紙に引き伸ばして見ると、本来ピントを合わせようと思ったところ以外にもピントが合っていることに気づいた。
まるで視点のレイヤーが複数あるようだ。
そう気づいてからモネの絵を見ると、モネの絵にも複数の視点のレイヤーの存在を感じる。
きっとそれは、モネが記憶を頼りに描いたのではなく、今見たものを今見たものとして描くということを積み重ねて描いていた証だろう。
モネも「イマココ」で生き、描いていたんだぁ、とか思った。
記憶を頼りに描くのも悪くはないけれど、「今」「今」「今」と積み上げていった作品には、きっと力がこもるのだろう。
両展示とも2022年7月10日(日)まで。
興味のある方はお早めに。