Well Beingの実践

脳や体は受信装置

少し前の投稿で、「心→体→外側」なのだという話を書いたのだけれど、今日はもう少し踏み込んだ話を。

 

脳は受信装置

以前、スピリチュアルな発信をしている誰かが、

「脳(頭)は本来、受信装置だから」

と言っているのを聞いて、驚いた記憶がある。

 

脳は記憶するためのものでも、How Toなどを考えたりするものではなく、ひらめきなどを「受信」するためのものだ、と。

だから、人間は本来の姿に近づくにつれ、あまり頭を使わなくなるのだと。

(その人は、“以前は講演の前には周到に準備していたけれど、最近はまったくしなくなった。なぜなら、そのときそのとき、話すべき言葉が浮かぶから”みたいにも言っていた)

 

その言葉を聞いたのは数年前で、私は「へぇ、そうなんだ」と思っただけだったけれど、最近、「あぁ、あの言葉はこういう意味だったのか」と体感として分かるようになってきた

 

私は人前で話し慣れてはいないから、人前で話さなくてはいけなくなったら、多分今でもパワーポイントで資料をしっかり準備して臨むと思うけれど、でも、普段の生活では本当、先のことをあまり考えなくなった。

(以前は、暇さえあればノートを開いて、頭の中の「もやもや」整理をしたり、「じゃあ、どうなればいい?」と理想を考えて書いたりしていたけれど、それも気づいたらほとんど必要なくなっていた。「ノート至上主義」くらいな感じだったから、卒業することもあるのかと驚く。※まだたまに書くけどね)

 

以前は「私は頭がいい」と自負していたし、頭が良いキャラとして生きようとしていたように思う。

でも、本当は多分結構な感覚派だった。以前から。

それが、最近さらに進んだ感じ。

小説を書くときも、以前からきっちり構成を立てて書くタイプではなく、軽く設定を考えたら、もう書き始めるというスタンスなのだけれど、最近はさらにその「そのとき思いつくこと」「登場人物が勝手に動いて作っていく流れ」を信頼しているように思う。

 

体で受け取っている

そして、そんなふうに「今」受け取った感覚を大切にして日常生活を送り、作品を作っていて、気づいた。

感覚とかひらめきって、頭でも受け取っているけれど、もっと体全体で受け取っている感じがするな、と。

 

小説を書くとき、以前から「感情つきの映像を見させられている感じ」と表現していた。

シーンが映像として見えるけれど、それだけでなく、視点人物の感情が自分の体の中に起こり、私は見えているものと感じているものを文字化して小説にしているという感覚だった。

 

そのとき意識していたのは、映像を見るための「目の奥のあたりの脳」と、感情を感じるための「胸の真ん中」あたり。

そこで以前は感覚を受け取って、書いていた。

 

でも最近、さらに感覚が研ぎ澄まされてきて、体全体で必要な情報を受け取っている感じがする。

それは産毛みたいな細かい体毛をけば立たせるようにして全身からだったり、深く吸い込む呼吸のように頭の上の方から体の中央を通すようにだったり、かと思うと、呼吸を集めた肺のあたりだったり。

以前よりも、もっと広範囲で、もっと細かく“受信”できるようになったように感じる。

(この文章も、頭で考えているというよりは、体で受け取って書いている。受け取ったものを“どうやったら伝わる文章にできるだろうか”とは考えるから、頭も結構使っている感覚はあるけれど、必死に考えているというよりは、必死に受け取ろうとしている感じかな。必死に考えているとき、呼吸は浅くなるはずだけど、集中して書いているとき、私はときどき目をつむって、深呼吸していたりする)

 

感覚的な話過ぎて伝わったかは分からないけど💦

ただ言いたいのは、体の感覚を立てるって、非常に可能性に富んだ、ものすごいことなんじゃないかということ。

 

「体の感覚を立てる」大きな可能性

心が整い、体が整うと、人の才能は必ず開花するというか、「ひらめき」とか受け取れて当然の状態になるよね、と最近思うんだ。

そうやって細かに一瞬一瞬、必要なものを受け取っていたら、
必ず良い流れに乗って、三次元的な環境も整うし、
「私」という一人の人間の頭脳とか才能とかをずっと超えた、素晴らしい作品を創れるに決まっている。

 

だから、

  • 体を整えること
  • 体を整えるための土台として必須の心の整いも実現させること
  • 体が一瞬一瞬受け取る感覚を見逃さないよう「今、ここ」に意識をしっかり向けること

この3つが大切で、ある意味この3つだけしていればいい、と思う。

(受け取った感覚を元に行動に起こすということも大事だけど、慣れるまでは「行動」はできるだけしないようにする方が大事だと思う。慣れると、「これはやるやつ」というのが分かるようになるし、本当に流れに乗った行動って、「気づいたらやっていた」くらいスムーズ。だから、その感覚が分かってからで、行動するのは遅くないかな、と私は思う。「これをやらないと、ものすごく大きなチャンスを逃すんじゃないか」みたいに思うときは、それはまだエゴにやられている。世界の流れはもっとスムーズで、優しい)

 

思考を手放し、流れを信頼し、今の感覚のなかにいる。

その恩恵は計り知れない。

 

まとめとアドバイス

そんなこと言われても思考がうるさい、という人は、まずは1分でも「呼吸に意識を向けるだけ」の時間を作ってみるといい。

それも難しいという人は、走ったり、筋トレしたり、否応でも体に意識が向いて、頭が働かなくなることをしてみるというのもいいかもしれない。

最初の一歩は、ほんの一瞬でも、思考から体に意識が完全に向き、それを「気持ちいいな」と感じることだと思うから。 

 

思考が静まると、体に意識が向くし、

体に意識を向ければ、思考は鎮まる。

特に呼吸している自分の身体感覚に意識を向けるのが、一番お薦め。

 

なんとなく人生がスムーズに流れていない感じがする人は、

どちらからのアプローチでもいいから、「思考」と「体」との付き合いをちょっと見直してみられたら、いいんじゃないかなと思う。

スムーズな流れを邪魔しているのは、環境でも外の人でもなく、自分の思考でしかないと気づいたとき、人生は大きく変わる。

思考で邪魔しなければ、必要な流れも情報もひらめきも、すべては体からすっと入ってくるから。

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