小説

その影を 1-7

※毎週火・金更新

※この作品は「プロローグ」から始まっています。

 それから数か月が経ち、ようやく羽賀邸の土地が決まり、その土地に合う設計が完成し、設計図に最終的な承認の印をもらえた。これからその設計に合わせて、実際に工事をする様々な業者さんとの打ち合わせがあるし、工事の途中で羽賀さんがまたわがままなことを言ってくる可能性もあり、気は抜けなかったが、とりあえず一山登り切った感はあった。

「たまには“打ち上げ”的なことでもやりますか」

 羽賀さんとの電話を切ったあと、黒川先生が私に言った。

私に言ったはずだけれど、そういう話だけはみんなの反応が良く、「いいですね」「まだ忘年会には早すぎますが……気候もいいし、ベストタイミングです」「今なら“月見の会”とかですかね」など、私たちそっちのけで盛り上がり始める。

 忙しくてあまり頻繁に使えていないようだけれど、黒川先生はクルーザーを持っている。だから今回も、「十五夜には間に合いませんでしたが、次の満月の日に、船で繰り出しましょう。ちょうど土曜日です」など、西川さんが勝手に話を決めている。

「そうそう、あの公園のホールの設計も決まりましたし」

 結構大きな話だと思うが、黒川先生はそこでさり気なく言う。

「え、決まったんですか?」

「言ってくださいよ。いつですか?」

 そこの盛り上がりには、私も参戦する。

「うん、昨日の夜、みんなが帰ってから、連絡があった」

「えー、それで善場先生と二人で盛り上がって、私たちに報告は忘れちゃったんですか?」

 西川さんが鋭いツッコミを入れる。

「盛り上がってはないけど……」

 黒川先生はちょっと困ったように笑う。

 そうか、善場先生にとっては、これくらいの仕事、取れて当たり前くらいの気持ちなのかもしれないな、と思う。いや、善場先生はマイペース過ぎて、人と争う感覚などないということなのか。

「さすがに夜遅くに電話とかメールとかしてこなくてもいいですけど、朝いちでは教えてくださいよ」

「うん……そうだよね。ごめん」

 謝罪の言葉で、一応黒川先生への攻撃は収まる。あとは「あのホールの仕事はいいよね」

「完成後コンサートとかで実際行ってみたいよね」など、喜びモードになる。実際に仕事が始まると、個人邸の仕事にプラスしてホールの仕事も抱えることになるから、事務所がまたバタバタするのは目に見えているのだけれど。

「じゃ、まぁ、今の落ち着いている時期がやっぱりチャンスですよね!」

 姉御肌の西川さんがてきぱきと日程調整をし始め、自動的に幹事に決まる。

「やっぱり、善場先生は来ないですよね……?」

「あぁ、一応確認してみるけど……来ないだろうね」

 善場先生には設計とかデザインについて一度しっかり話を聞いてみたいと思う。きっと他のメンバーもそう思っているだろう。でも、善場先生が飲み会の席に馴染まないのは想像するまでもなく明らかで、居心地悪そうに場の片隅に座っている善場先生の姿も想像できるから、こういう誘いは断ってもらってもいいか、と思う。

 

 

 そんなこんなで、本当に十月の満月の日、私たちは黒川先生のクルーザーに集まった。子供が小さいなど理由があり参加できないメンバーもいたので、結局、黒川先生を入れて六人になった。

 黒川先生のクルーザーは八人定員だけれど、大人数でゆったり過ごせるほどの大きさではないし、結局運転しなくてはいけない黒川先生は寛げない。なので、夕方出港し、上がってくる満月を見つめ、陸に戻ってから店でしっかり打ち上げをするという現実的なプランになった。

 “屋外”的なところにコの字型にリビングのソファーのように座席があり、コの開いた左側の部分に運転席と助手席がある作りだ。床の下にはキャビンがあり、眠れるようにもなっているが、そこは本当に横になるしかできないスペースなので、みんなでデッキ部分のシートに腰掛け、とりあえずソフトドリンクで乾杯する。

 十月とはいえ今年は暖かく、今日は風もないから日が傾いて威力を失っても、寒さは感じない。狭い場所に六人で固まり、体温を交換し合っているせいもあるかもしれない。

 黒川先生のクルーザーは赤羽近くの荒川沿いのハーバーに止まっているので、そこから川を下り、海の方へ向かう。荒川は下って行くと、東京の下町の方へ行き、葛西臨海公園あたりで海に出る。ただ海に出ると波もあるし、結構な遠出になるので、今日は荒川のなかを散策し、行けたら隅田川まで“足”を延ばそうということになる。

 黒川先生のクルーザーに乗せてもらうまで知らなかったが、墨田川は荒川の分流で、赤羽の方で一度別れた後、下流でまた合流し、その後また離れるという位置関係にある。

 赤羽駅周辺は駅ビルも充実しているし、高いビルもあり、都会の印象だけれど、荒川沿いを船の上から見ると、緑が多く、郊外感が強い。土地を持て余しているような河川敷には、野球のグランドや、サッカーのフィールドがたくさんあり、グランドでもフィールドでも公園でもないような“ただの緑”もだだっ広く存在する。

「川から見ると、普段とはまた違った街の姿が見えますよね」

 少し離れてみると、グランドで野球の練習をしている子供たちや、草サッカーのようなことをしている大人も、いつもとは違って見える。人の声もはっきりとは聞こえず、塊になって喧噪として届く。

「そうですね。視点を変えてみるということは大切です」

 私たちには背中を向ける格好で運転している黒川先生が言う。

「確かに、視点を変えると、新しいアイディアも湧きそうですよね」

 桜井の言葉に、黒川先生は「はい」と応える。

「特にこれから建築士として活躍していくみなさんには、良い刺激になると思います」

黒川先生が船を持っているのは、そんな理由もあるのかもしれない。そんなことをぼんやり考えていたら、西川さんが急に「空もいいですよね」と言う。

「空?」

「先生、次はセスナを買いましょう!」

 強引な展開にみんなが笑う。

「それは西川さんが将来たくさん稼げるようになって、買ってください」

 黒川先生の言葉に、みんな便乗し、「是非、そのときは乗りたいです」「期待してます」など言い合い、笑う。

 風はほとんどないが、クルーザーのスピードで肌に風を感じる。傾いた日が世界を少しずつ暖色に染めていく。たまに橋の下を通り、川のそばまで迫っている建物を見たりもする。

 確かに、やっぱり普段とはまったく違うものを見ている気がする。

 普段から設計前には現地を確認に行き、工事期間中は現場にチェックに赴き、完成したら改めて実際に建った建物と周辺環境のバランスを確認したりする。それでも、見切れていないものが世界には確かにあって、実はそれの方が、普段見ているものより大事なのではないかと思えたりする。

 

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