去年末、仕事でお世話になっていた方が亡くなった。
85歳だったけれど、とても元気で、一週間前には講座の講師などされていたので、びっくりした。
その先生の講座を主に担当していた元同僚が地方まで出向き、葬儀に参列したのだけれど、奥さんがずっと泣いていて、つらい式だったと言っていた。
長く病気で苦しむ姿を見るのもつらいけれど、まったく心の準備ができていないなか、急に亡くなってしまったら、それは気持ちの切り替えに時間が掛るだろうと思った。
そんなことがあったあと、Facebookで知り合いが「母を看取った」という投稿をしていた。
その人は心理カウンセラーなのもあり、自分の感情を非常に細かく分析し、亡くなった翌日から葬儀の日、その後まで、毎日何度も自分の気持ちや感じたことを書き記していて、すごいなぁと思った。
その人は葬儀のあと、少ししてから「父は大丈夫か心配する声をもらっているけれど、元気にしています」という投稿も上げていた。
私はその投稿を見て、「それならよかった」と思う一方で、去年末亡くなった人の奥さんの話を思い出し、「今は大丈夫でも、あとから堪えてくるのではないか」などと考えているのに気づいた。
私は亡くなったお母さんにも、残されたお父さんにも会ったことはないのに。
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勝手に可哀そうだと思わない方がいい
そのとき、ふと思い出した。
以前私がある人のことを心配し、「〇〇だったんじゃないかな。そうだったら可哀そうだな」ということを言ったとき、共通の友人が口にした言葉を。
友達はこう言った。
「勝手にそんなふうに可哀そうがらないほうがいいよ。可哀そうだと思うと、可哀そうな人を作ってしまうから」
その言葉は私にとって衝撃だった。
今まで私は、人のことを「大丈夫かな」と心配するのは、思いやりであり、優しさだと思っていた。
「可哀そう」だと思うのも、その延長線だと。
でも友達は、そうではないと言い切ったわけだ。
でも確かにそうだ。
実際にできることを探して、手を差し伸べるなら、それは優しさかもしれない。
でも、勝手に分析して、可哀そうだと言っているだけでは、何の優しさでもない。
それに「可哀そう」と思うとき、思う側の人間は無意識にこう思っている。
「あの人にはそれを乗り越える力がないだろう。だから、可哀そう」と。
可哀そうと思うとき、それは相手の力を過小評価さえしている。
ピグマリオン効果とゴーレム効果
心理学用語に「ピグマリオン効果」というのもある。
これは事前に「この生徒はこれから伸びますから、よく見ておいてください」と担任の先生に言っておくと、
実際にその生徒の成績が伸びるというもの。
スピリチュアル的に言うと、これは「意識を向けたものが増える」ということでもあるけれど、
心理学では「期待された人は、その期待に応えようとするため、結果が出る」という意味で使われる。
ピグマリオン効果の逆に、「ゴーレム効果」というものもある。
これは「期待をかけられていないと感じると、人はやる気をなくす」という心理学用語。
根拠なく、勝手に決めつけで「可哀そうな人」と誰かのことを考えることは、
ゴーレム効果にさえなってしまうかもしれない。
自分を信頼する 人を信頼する
そして、改めて思った。
勝手に「可哀そう」と思う前に、もっと人の底力みたいなものを信頼しよう、と。
重度の障害を持った人を見たときや、重い病気にかかった人を見たときも、
人は「可哀そう」と思いがち。
でも、人は生まれる前から、自分の人生の大まかなストーリーを描いてきているのなら、
それはその人が自ら選んで経験していることであり、より良い人生のために必要だから起こしたことなわけだ。
自分の力を信頼する。
それと同じように、人の力も信頼する。
そうやって生きたいなと思った。