過去Diary

インタラクティブ

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 今でもはやっているのかは知りませんが、一時期、「インタラクティブ」という言葉がはやったときがありましたよね。
 
 インタラクティブ、つまり「相互作用」というか、一方通行の伝達ではなく、何かの発信者と、受信者、両方が、コミニケーションに関わる、といったような意味です。
 
 結局、「たまごっち」も、そういうところを売りにしているのですよね。元々プログラムはあるのだけれど、私たちの育て方次第で、形や結果が変わる、という。最近のテレビゲーム(プレステ、とか)も、結末が一つではないロールプレイングなどを作っていますし、あと、小説も、段々パソコンの世界に入ってきて、昔のゲームブック(「敵に会いました。どうしますか。逃げる→3へ、戦う→6へ」という、やつですね)みたいな感じに、自分で物語を作っていくという新しい(?)方向が生まれてきたそうです。
 
 でも、私は、その流れが嫌いです。現代の若者っぽくない私は、「たまごっち」の流行がよく分かりませんね。結局、なんだかんだいっても、それは機械の中の、プログラムに踊らされているにすぎないのです。新しく生まれるものがあるわけではありません。
 
 私は、その「インタラクティブ」のブームが、本当の「双方向コミュニケーション」を妨げている、見えなくしているのではないかと思います。いや、本当は「たまごっち」をキーホルダーで育てているのは、別にいいのです。でも、それが今はPHSに入っているそうです。友達と話しているときに、たまごっちが(飼い主を)呼び出して、かまってやらないと、電話が切れてしまうらしいのです。それはもう、「機械に踊らされている」としか言えません。
 
 この場合、本当に「インタラクティブ」で、大切なのは、友達との人間関係の方に他なりません。何か、変な世の中です。(まあ、みんな「インタラクティブ」を考えて「たまごっち」を飼っているわけではありませんけどね…)

 私は、一応物書きなので、小説が今後どうなっていくかは気になります。でも、私はそんな、ゲームブックみたいなものは、書きたくありませんね。それは、逃げだと思います。本当に深い芸術作品は、受け手の側の解釈で、幾通りにも変化するべきです。わざわざ話自体を変えなくても、受け手によって、印象は変わる。浅く楽しみたい人には、浅く楽しめ、深く考えたい人には、ある思想を実は用意している、それが芸術の一つの理想の姿だったはずです。野田秀樹の演劇も、そういう意味で、偉大だと思います。

 人間関係というのは、とても「インタラクティブ」なものです。私は、かなり接する人によって、自分を変えてしまう方の気がしますが、人間誰でも、そういう部分を持っていると思います。本当は誰でも、何か深い、人にはないものを持っています。でも、それは、理解してくれるだろう、と思われる人にしか見せません。だから、人と話していて、つまらないな、と思ったとき、「こいつはつまらない人だな」と思うのは、危険です。その時、確実に自分もつまらない人になっています。
 
「波長が合う、合わない」はあって、それは仕方がないので、あまりにうち解けられそうもない相手に、つきまとっても仕方ありませんが、人を偏見で見る前に、色々な質問を考えて、まず話しかけてみてはいかがでしょうか。世の中、そう捨てたものじゃないな、と思ったとき、自分も、深い人間になっているはずです。

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