過去Diary

土地の力

 今日は、「久里浜」というところまで、片道2時間近く掛けて、セミナーを聞きにいってきました。なのに、セミナーは1時間で終わってしまいました。なんだか、私何をしているんだろう…という気分です。「いい社会勉強になるよ」などと言いながらも、実は少し、疲れも感じる今日この頃です。本当は、あんなスーツにヒールじゃなくて、ジーンズに一眼レフを下げて、見知らぬ町は歩きたいというものです。せっかく、あんな遠くまで言ったのに、疲れてすぐに帰ってきてしまう自分が悲しい…。

 私は、町の空気とか、においが好きです。ほんの数駅先に行っただけで、今までと違う「町」があります。人の生活のある場所。人工的な工場の並ぶ場所。無機質な高層ビルの並ぶ都市。人が止まることなく流れ続ける街。空間には、必ず空気があります。色々な空気を、吸い込んで生きていきたいな、などと思います。

 でも、私は、本当は東京が嫌いなのではないか、と思います。なんだかみんな、ひたすら忙しそうで、全てのつきあいが、淡泊です。
 
 大学3年生の夏、一人で四国を旅したのですが、多分四国って、日本の中で、1,2位を争うほど、交通の便が悪いのですよね。悪い意味ではなく、瀬戸大橋の片端にある岡山と、高知県などは、なんだか時の流れ方が違います。そんな場所を旅して、「一人旅」だったせいか、宿の人や、街で出会った人が、ものすごく親切に面倒を見てくれたりして、「これが、本当の暮らしなのだな」、と思いました。

 その旅を通して、「土地の持つ力」について、とても考えました。私は、もし東京に住んでいなかったら、こんな小説は書いていないだろうな、とまず思いました。私の、アイデンティティーだと思っていたものは、もしかしたら、単なる「都会の病」なのかもしれない。そう思ったとき、怖かったですね。
 
 でも、その旅が終わって、ネオンの街に再会したとき、地方から出てきた人なら、珍しくて、このネオンを写真に撮ったかもしれない。でも、私はそれを撮ろうとは思わない。それは、ただの表層にすぎないと、東京に住んでいる私は知っているのだから、そう思いました。東京で、生きていこう、などという決意をしたりしました。

 今、私は就職活動をしているわけですが、転勤の可能性のある就職をするか否かについては、まだ迷ってしまっています。でも、考えてみると、私は生まれたときからずっと東京にいるわけではないのですよね。まぁ、5歳の頃からはいますから、「物心ついたとき」には、東京にいたわけですが、でも、3つ子の魂百まで、というし、私の中には、東京以外の場所の空気が、きっと残っているのだと思います。そして、それが私に、東京に対する違和感を感じさせているのです。きっと。
 
 人はやっぱり、たとえ記憶になくても、生まれ故郷を求めています。3歳の頃まで秋田にいた弟は、大学を受けるとき、やけに東北にこだわっていました(結局、金沢に今行っていますけど)。南米に小さな頃いたという友達は、メキシコに今留学しています。(非常に今、治安が悪いようですが、やたら楽しんでいるような手紙がこの間届きました。いいなー)私は、生まれて半年は、千葉の松戸にいて、それから1年ウィンブルドン(イギリス)にいて、それから半年ぐらい東京にいて、その後3年は秋田に住んでいました。私の故郷は、どこなのでしょう。私は一生、自分の中の空気とぴったりする場所、空間を探し求めて生きていこうかな、と思います。

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