過去Diary

字足らずの再会

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 今日はある「もどかしさ」について。
「もどかしい」がゆえの人間らしさについて。

 最近少しネットにつなぐことを控えている。特にチャットはほとんどしなくなった。理由は夜の時間をもう少し他のことに使いたくなったから。それから、もっと、自分を人との関わりに飢えさせて、他の友達を作るエネルギーを作りたかったからかな。

 その考えに成果があったからか、最近結構色々な人と出会っている気がする。ダイビングでまず新しい友達ができたし、写真の勉強をしようと思って今日から教室に通い始めたけれど、そこの人とも結構仲良くやっていけそうだ。ずっと、自分は人見知りだと思っていたのに、最近、自分でも驚くぐらい喋るようになった。

 ただ、やっぱりチャットのように文字で話すのと、実際に口で話すのは違うなと思う。口で言うとどうも照れが入ってしまう。

 今日は、昔少しだけいた劇団の公演を見に行ってきた。高校2年の時にそこの劇団を見て、とても衝撃を受けた。そして早稲田に入りたいと思った。
 
 あの時からもう6年。劇団の色も大分変わった。けれど、あの時の主役だった二人は今も同じように頑張っている。そういうものを見ると、何だかとても不思議だ。浦島太郎の別バージョンという感じかな。私と同期で入った人も、主役近くまで上り詰めて、舞台の上で輝いている。「輝いている」なんて陳腐な言い方だけれど、そこに彼がいると、それだけで周りの空気が張りつめる。
 
 あの場所を去ったとき、自分かあの場所か、どちらかを否定することしかできそうもなかった自分。でも、今はアンケートに自信を持って「会社員」とか書いたりしている。
 
 彼ももう社会人になるべき年齢で、だけど大学を中退してしまっているから、これからどうしていくのか分からない。だから、もう、私と彼との間には大きな隔たりがあって、あの頃同じ空間で同じ熱い思いを抱いていたなんて思えないのだけれど、でも、自分と同じぐらいの年の人が、変わらずに夢を追いかけ、夢を作り続けている。そのことに、勇気づけられてしまうのはなぜだろうか。

 昔その劇団の新人だった頃、裏のお手伝いとしてきている先輩が私にこう話した。「もし自分が二人いたら、一人にはこの劇団で頑張ってもらうよ」
 
 その劇団にいると授業には出られなかった。4年で卒業して、就職する事なんてとてもできそうもなかった。だから、現実を見てしまうと、やはりそこにはいられなくなっていく。学年が上がるに連れて、その「現実」は重くなっていく。私はでもその時、ただ「夢」を純粋に追っていた。だから、その人の言う言葉に共感はできなかった。本当にそう思うなら、自分が舞台に立てばいい、そういいたくなった。

 でも、今はそんな気持ちなのだろうか。彼は自分とは全然違う、もっともっと強い人だと思うけれど、でも自分の他の可能性を示してくれるものとして、大事に思ってしまうのだろうか。

 劇団を辞めてからも、何度もそこの劇団の芝居は見に行った。でも誰とも挨拶をしないで帰った。ただ、遠くから見ていようと思った。
 
 でも、今日はその人とたまたまロビーで話す機会があった。私がその劇団にいたのは3ヶ月ぐらいなもので、それから私は彼を見ることはあっても、彼は私のことを見てはいなかっただろう。でもちょっと目があったら、彼は「ひさしぶり」と、本当に懐かしそうにして笑って、階段を下りてきてくれた。自分のことをきちんと覚えていてくれる人の存在に、ホッとした。
 
 でも、本当に長い時間があったような気がした。ちょっと苦笑しながら、「私はもう社会人に成っちゃったよ」と言った。あの頃、自分は「ただの」社会人にはならないと思っていた。あの頃は就職するのは負けだと思っていたのだっけ。でも、世間的には、就職していない彼らの方が敗者なのかもしれない。……ただ懐かしく再会できればいいのに、そこに色々な価値観が渦巻いてしまう気がした。それが淋しかった。でも彼は笑って言った。「そうか、かたぎになったか」「そそ、かたぎ」私も笑って答えた。

 君たちのことを見ると、勇気がわいて来るんだよ。そう言いたかったけれど、上手く言えなかった。でもそれでいいような気がした。「字足らず」の句のような再会と別れは、意外と気持ちのいい余韻を残した。こうやって、言いたいことを言えないから、私は文章を書き始めたんだったな、と自分の原点を思い出したような気がした。

 「星の王子様」の中で、キツネは、言葉は誤解を生みやすいから、ただ隣に座って、その距離を縮めていけばいいと言う。

 ネットの中の関係で、私はどれだけ気障な台詞を吐いただろう。でも、どれだけそういう気障な台詞に励まされただろう。それはそれで、とても貴重なことだった。でも今は、ちょっと淋しげな、何かを積み忘れたような、話し言葉の世界でちょっと頑張ってみたい。

 この言葉は、否定的に受け止めないで欲しいのだけれど、一つ思うこと。人は結局は一人で生きて行かなくてはいけない。全ての悲劇は、それを忘れたために起こる。

 人との間の「字足らず」のなかに、本当の温かさはないだろうか。そういう空間や隙間があってはじめて、人は相手を本気で理解する努力をしないといけないと、ひしと感じるのではないだろうか。

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