過去Diary

欠如

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 昨日は、「欠如」についての話をしましたが、今日もその続きです。昨日、就職活動の一環で、グループディスカッションみたいなものをしてきました。8人ぐらいの学生がしゃべっているのを、社員さんが黙って点数化している…という怖いやつですね…。
 
 その中で、一人の人がこんなことを話していました。前、片手、両足がない人が、自殺未遂をしたというニュースがあったそうですが、その理由は、幼稚園に行き始めた子供が、「何で、お母さんには、手や足がないの?」と聞いたことだったそうです。
 
 それまで、その子供には、お母さんに手や足がないということは、当たり前のことだった。大人になったら、なくなるものだと思っていたかもしれない、でも、他の世界を見ることによって、初めて、それを「異質」なものであると認識した、と。
 
 重い話ですよね。「欠如」なんて、結局「相対」でしかないのかもしれない。でも、人は、外部と関わらないと、生きていけませんからね、大人になるに連れて、どんどん、「比較」する生き方に染まっていってしまう。

 でも、「欠如」を埋めようとして、必死になっている人の姿には、本当に人の心を打つものがあります。
 
 前、私は福祉の関係の仕事に興味を持っていて、障害を持った方のリハビリの手伝い(といっても、話し相手をしたり、逆に「教えてもらう」ばかりでした…)をしたことがあるのですが、そこで、小学生の時に発病して、体が不自由になってしまった、若い男の方に会いました。
 
 その方は、発病した当時は、思うように言葉を発することもできず、立つこともできなかったそうです。でも、私が会ったときは、ゆっくりですが、階段も上れ、はっきりと言葉をしゃべり、そしてきちんと会社で働いていました。そして、自分は必ず、他の人と同じところまで回復する、と疑いなく信じていて、自分の経験を、一人でも多くの人に伝えたい、と、自伝を自費出版する夢も話してくれました。
 
 その方とは、2年ほど前に、たった一度お話ししただけです。でも、私の尊敬する人です。歩き方や、色々な仕草は、まだぎこちないところもありましたが、ものすごくかっこよく見えました。

 ついでなので書きますが、その人は[J-WALK]が好きなんですね。とても大事そうに、そのCDを持っていて、見せてくれました。きっと、彼は[J-WALK]に励まされているんですね。そう思っていたら、その年、24時間テレビに[J-WALK]がでてきて、どこか内乱のつづく地を訪れていました。その国には、まだ地雷が埋まっていて、子供たちの中には、それで足や腕を失った人もいるのです。[J-WALK]の人は、そのような子供たちが、真っ直ぐに生きている姿に、勇気をもらう、という話でした。
 
 それは、テレビの作り事かもしれない、でも、その子供たちが[J-WALK]に、[J-WALK]がその男の人に、その男の人が私に、勇気とか、元気とかを与えてくれたのです。有名人も、私たちも変わらない。ただ、その循環の中に入って、その流れを、伝えていきたいな、と思います。

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