今日、生まれて初めて献血をしました。そんな、大げさなことじゃないですけど…。私は、どうも血管が細いらしく、下手な人にあたると、ぶすぶすと何度もさされちゃうよ、と脅されたこともあって、今まで行かなかったのですよね…。でも、やっぱり看護婦さんは、プロだ!と思いました…。別に、大したことではなかったです。
自分の中から、血が外に流れ出ている、という感じが本当にするのですね。なんだか新鮮で、ちょっと得した気分でした。
そして、私がとても感心したのは、人間の「再生力」みたいなものです。少し休んでいけ、とは言われましたけど、初心者の私が「今日、してはいけないことってありますか?」と聞いたら、「別に、何しても大丈夫ですよ」と、笑顔での返事でした。3,4ヶ月は献血できないというのはありますけど、200㏄とか、400㏄の血液ぐらい、すぐに作れてしまうのでしょうか。
そういえば、友達に、「血を抜いてもらうと、新しい血が作られて、気持ちがいいから、献血好き」と言って、次の献血の月を待っている人がいました…。うーん、なるほど、と思わせられる発言でした。赤十字も、「愛のため」とか言わないで「あなた自身のリフレッシュのために」とか言った方が、宣伝になるかも…?
また、ちょっとまじめな話になりますが、そういう、「欠如を埋める」力というのは、ばかにできないと思います。私は、どういうときに小説を書きたくなるかというと、「淋しい」時ですね、主に。だから、私の小説の原動力(?)は、ある種の欠如感です。
昨日、劇団での挫折の話を書いてしまいましたが、その劇団が、今私にはない、という「不在感」も、もしかして、私を支えているのかもしれない。何か、欠けた部分があるから、人は努力したり、その結果として、成長したりするのではないかな、と思います。「挫折」とか言うと、マイナスに聞こえてしまうかもしれませんが、私にはそれは大切なことでしたし、そう思えるから、ここに書けている、人に堂々と語れるのだと思います。
前いた劇団(今まで書いてきた劇団ではないですが)が「レコンキスタ」という劇を作りました。「レコンキスタ」というのは「領地奪回」とか言う意味だったと思います。で、その劇のご挨拶として、演出の人が、こんな言葉を書いていました。
「「ここ」は、「そこ」なしでは「ここ」にはならない。」
人は、行き着けるはずもない場所を常に追い求めるだけだ、ということだと思います。「たとえ「そこ」に行き着けても、今度、その時には「そこ」は「ここ」になってしまう。」それは、あまりに悲観的だ、とは思います。でも、今いる場所に満足して、自分の力はこれくらいだよ、と悟りきったように言っているよりは、いいのだろうか。私には、よく分かりません。
でも、人が動く原動力は、欠如だな、と思うのです。…でも、誤解しないで欲しいのですが、私は、決してこのことをネガティブなこととして、言っているわけではないです。